2011年7月課題: 詩

俳句入門


  
 
俳句への関心は、遠く30年以上前に新聞に連載された大岡信の「折々の歌」に接したときに始まる。古今の短歌・俳句の簡単な解説であったが、17文字に込められた、イメージの豊かさに驚き、魅了された。17年前からNHK文化センターのエッセイ教室に通って月1編のエッセイを書き続けている。全編、原稿用紙3枚半という規定に1行の過不足もなく書いているが、まるで定型詩をつくる作業だなと思った。長く続けているうちに、自分でも定型詩、特に俳句を作れるのではという思いが高じ、作って見たいと思うようになった。

 昨年夏、近所に住む高田さんが属する句会を知り、思いきって参加した。「アフィニス句会」というこの句会は、どこの結社にも属さない。リーダー格の志村さんは、新聞投稿や、各種の俳句大会に投句することで研鑽を積んできた人。毎月集まるのは10人ほど。その他に数人の郵送投句メンバーがいて、各人5句で毎回70句以上が提出される。作者は伏せておいて提出された句の中から各人が10句を選ぶ。そして、披講といって選句結果を順次発表していく。自分の句が果たして選ばれるかどうか、期待と緊張の瞬間だ。披講が終わると各句の講評に移る。この句会は主宰がいないので、各人が思い思いのコメントをする。「広がりがない」「平凡だ」「意味不明だ」「三句切れだ」「詩がない」など、厳しく、容赦ないコメントが飛びかう。1時半から始めて終わるのは5時半。少しも気の抜けない緊張の4時間だ。その後は課外授業。焼酎を片手に俳句論議が盛り上がる。驚いたのは、私が一番若いこと。最高齢者は85歳だ。

 高田さんの紹介で「オリーブ句会」という地元の句会にも昨年暮れから加わった。こちらは有馬朗人さんの「天為」という結社に属するもの。主宰は「天為」同人の宮川ルツ子さん。メンバーは男女4人ずつ。各人が選句し、披講するところは「アフィニス句会」と同じだが、コメントは主宰からされる。ルツ子主宰は80歳を超える高齢だが、スパッ、スパッと各句を評価し、必要な句には添削を施していく。「報告に過ぎない」「類句が多い」「ここは(に)ではなく(の)にしなさい」。その割り切りの良さに、俳句の持つ特質の一つを見る思いがする。割り切らなければ17文字の短詩などできない。

 面白いのは、主宰の句に全く点が入らないことがよくあること。これも初心者とベテランの差がそれほど明瞭には現れないという、俳句の特質だろう。

 70歳過ぎにくぐった俳句の門である。思ったより刺激に満ちた新しい世界が開けていた。日常のあらゆるものに句材を求め、菜園作業の際、電車の中で、床の中で…機会あるごとに句想を練り、言葉が天から下りてくるのを待つ。若い頃、読み手によって如何様にも解釈でき、評価もまたバラバラである俳句など、自己満足の文芸に過ぎないと思っていた。今は、自己満足でもいいと思う。

「俳句をやっているとぼける暇などない」というルツ子主宰の言葉は私の実感でもある。
 
 東海道歩きで得た最新の一句

道に豚舎の匂ひ青葉風

       2011-07-27 up

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