2011年1月課題:富士山

富士登山


   
 若い頃は山男の端くれを自認していた。北アルプスや南アルプスの三千メートルを超す山々を、重いリュックを担いで縦走した。軽装で、ぞろぞろ登る富士山など、山登りではないと見下していた。穂高、槍、剣といった北アルプスの荒々しくそそり立つ岩峰、大地に根の生えたようにどっしりとした山容の連なる南アルプス、あるいは新緑や紅葉に彩られる深い樹林の続く奥秩父、そして山々に食い込む渓流、天上の楽園のような高山植物の群生や湿原。あるいはテントを張り、飯ごうの飯を食うという楽しみ。そうした登山の魅力が富士山にはない。樹林もなく、ざれた登山道を、ぞろぞろと登っていく。

 九州の最高峰、屋久島の宮之浦岳に登ったのが私の登山歴の実質的最後だ。30才の時だ。家庭を持ち、子供も生まれ、その後登山とは縁がなくなった。山男と言ってもその程度の山男だった。それでも深田久弥の『日本百名山』のうち、30座を超す山々には登っている。しかし、富士山には登っていない。

 富士山は何と言っても特別な山。登るに際しては二つのこだわりがあった。一つは、富士登山をもって私の山歩きの最後とすること。私が登った山々を山頂から確認しながら、しばし回想にふけりたい。

 30才で本格的な山登りは終わったが、またいつか山歩きをすることがあるだろうと、心のどこかで思っていた。富士山に登って山歩きに終止符を打ちたくはなかった。実際、日帰りのハイキングを再開したのは60才少し前。退職後は関東周辺の低山歩きを続け、トレッキングシューズも2足目だ。

 もう一つは、山頂で感動を分かち合う人のこと。

 私とその人は、手をつないで富士山頂からの御来光を待っている。星が消え、東の空にわずかにオレンジ色が差してくる。濃く、広がってきたオレンジはやがて、明るく輝く。多くの登山者が固唾を呑む。太陽の弧がわずかに地平に現れる。御来光だ。私はその人の肩を強く抱き、その瞬間の感動を分かち合う。人々のどよめきが起きる。私たちは黙って上がってくる真夏の太陽を見つめる。肩を抱いたままで横を向くとその人の顔が、オレンジに輝いている。やがて房総から東京湾、三浦半島、相模湾が輪郭を現し、足下には山中湖の勾玉。右に転ずれば伊豆半島と駿河湾。

 私が描いてきた富士山頂のイメージだ。私の最後の山行を飾る日本最高峰の山。登るときは特別な人と一緒でなければならない。

 低山歩きはまだ続けるつもりだ。
「その人」のことは単なる妄想に終わりそうだ。

 今は富士登山を拒んできた二つのこだわりはなくなっている。しかし、行列をつくって他人の尻を見ながら登るという話を聞く度に、登る気にはなれない。何しろ昨シーズンの登山者は30万人を超える。

 そうこうしているうちに私の体もきかなくなってくる。
 多分私にとって富士は眺めるだけの山に終わるだろう。

               2011-01-19 up


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