2010年12月課題:災難 通夜の帰りに 中学の恩師の通夜の帰り、クラスメートと越谷駅前で飲みながら、恩師を偲び旧懐談に時を過ごし、横浜線十日市場駅に着いたのは12時近かった。7月下旬の日曜日、各所で花火大会や夏祭りが行われていて、電車の中では、浴衣姿の若い女性もかなり見られた。駅前にはタクシー待ちの人が列を作っていたが、夕方の雨も上がり気持ちよい夏の夜、私はいつものように人通りのまばらな道を歩いて家に向かった。駅前広場を過ぎたところのビルの前に若者が3人たむろしていて、私が通り過ぎたとき、チラッと私を盗み見したように思えた。 駅から真っ直ぐ200メートルほど先のアーチ状の歩道橋を上っているときだった。突然、後頭部に衝撃を感じ、背中を突かれた。右膝をついてうずくまった瞬間、金が目当ての強盗だと思った。相手は数人で、しゃがみ込んだ私を蹴ってきた。両脇を締め手で顔の側面をかばった。眼鏡がゆがんだがはずれはしなかった。 「金なら持っていないぞ」と叫んだ。会葬のお返しを入れた紙袋に、越谷で買ったビニール傘が入れてあるのを思いだした。傘を抜き取り立ち上がった。相手は3人だった。1人で相手をしてはかなわない。とにかく誰かに知らせねばと思った。通行人はいない。駅の方に向かって、「おーい!」と大声で叫んだ。我ながら大きな声だった。そして、手にした傘を正面の相手に向けた。初めて顔を見たその男はさっきの3人組の1人だった。長髪、白っぽいシャツ、ジーンズのその男は「間違いだ」と仲間に言った。3人はそれを合図にさっと背を向けた。私は横断橋のたもとまで傘を持って彼らを追ったが、彼らは裏の道を駅方向に向かって足早に去っていくところだった。私は「人をいきなり殴るとはとはどういうことだ」と彼らに向かって叫んだ。3人は私の方を振り向いたが、言い返すこともあるいは向かってくる様子も示さなかった。それ以上追うことはやめて、殴られた場所まで戻ったら、少し先の方を、女が1人携帯電話で話ながら歩いていた。私が襲われたことなどまったく知らない様子だった。 家について、110番した。30分ほどして警察官が2人来た。事情を聞き取って、警察官が引き上げたのは1時近かった。 翌日、調べたら、両脇腹、左眼の下、顔を庇った左手首の4カ所を蹴られ、後頭部を1カ所殴られたようだった。1日おいて、医者に行ったら肋軟骨骨折、顔面、後頭部打撲傷で全治4週間とされた。診断書を持って、警察に行き、被害届を出した。調書を取られ、現場確認にも立ち会わされた。 襲われてから7年経つ。警察からは1度も連絡はない。強盗でもないこんな些細な暴行事件で、警察が進んで捜査することなどあり得ないと思うから、犯人が捕まることは最初から期待していない。 犯人はテキ屋だと思う。当日、どこかの祭りの屋台のしょば割をめぐり、不満を抱いたテキ屋が、取り仕切った組の者に仕返しをしたのだと思う。通夜帰りの私は、ダークスーツ姿だったので、テキ屋の親分に間違えられたのだ。 貴重な体験だったので、細かい記録を取っておいた。 人生最大の災難が、こんな程度のものであることは、幸せとしなければ。 2010-12-29 up |
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