2010年9月 課題:残暑
残暑を歩く

                             

 記録的な暑さの今年の夏、旧中山道歩きを続けた。春と秋に限っていたのでは、目標とする今年中の完歩が危ぶまれたので、避けてきた真夏も歩くことにしたのだ。それに、真夏を避けていたのでは往時の旅の追体験にはならない。

 立秋も、暑さも和らぐとされる処暑も過ぎた8月29日、関ヶ原から近江の高宮宿まで28キロ弱を歩いた。前日は美濃赤坂から関ヶ原まで歩き、大垣に泊まった。連日、残暑という言葉が意味をもたないほどの真夏日だ。テレビでは毎日熱中症という言葉が飛びかう。ケータイも持たない一人歩きの旅、行き倒れてはまずい。熱中症には細心の注意を払う。

 頭には竹で編んだ笠をかぶる。頂上部がとがった浪人笠といわれるものに近いが、全体が法隆寺の夢殿の屋根のような6角形をしていて、折りたたむことが出来る。かなり前に南伊豆で手に入れたものだ。首筋には濡れタオルを巻く。リュックのポケットにはペットボトルの飲料を切らさない。街道沿いの自販機で補給しながら歩く。歩く時は影を選んで歩く。家並みが続くところは、道のどちらかの側に少しでも影が出来るからそこを歩く。きついのは両側に田や畑が広がる道。そんな道では、電柱の影、いや電線の影さえ貴重だ。気がつくと電線の影を踏んで歩いていたこともあった。そして、最後は水を頭からかぶる。街道が家並みを通る時でも、滅多に人に会うことはないから、ずぶ濡れ姿も気にならない。

 関ヶ原から、今須宿、柏原宿と過ぎ、醒井宿へ。醒井宿は中山道のオアシスと呼ばれ、湧き水が清流を作って宿場を流れている。ここには大勢の観光客がいた。醒井から番場宿をへて、磨針峠に登って行く。峠からははるかに琵琶湖が見下ろせる。竹生島も遠くにかすんでいた。はるばる来たという感慨に浸る。峠を下ると鳥居本宿。3時だ。高宮宿まであと6キロ。自販機もしばらくはなさそうだ。人影のまったくない鳥居本でようやくあった自販機でペットボトルを2本補給する。暑い。顔がほてる。水をかぶりたいと思ったが、水道の蛇口がありそうな公園も寺社もない。仕方なしに購入したばかりのペットボトルの水を少しだけ頭からかぶる。ドキッとするような冷い水が快感となって背筋を走る。

 鳥居本の家並みを過ぎると、また何もない田園の道。またもペットボトルの水をかぶる。しばらく進むと小さな集落があった。一軒の民家の前に、比較的新しい小さな地蔵堂があり、その前に水道の蛇口があり、ひしゃくがおいてあった。ズボンの腰のあたりまで濡れるほど、たっぷりと水をかぶった。多分、私のような街道歩きの人の便を図って設置されたのではないか。地蔵さんに手を合わせ、形式ではなく、心からお礼した。

 旧街道を歩いていると、よく○○の井戸、○○の湧き水という標識を目にする。今までそれほど気にもせず通り過ぎていたが、当時の旅人にとってこれらの井戸や湧水がいかに貴重であったかを実感した。同じように今は史的景観に過ぎない松並木が、旅人にとってどれほど貴重な影であったかも想像できた。

 高宮駅で汗と水でびっしょりの上半身を着替え、近江鉄道で米原へ。米原駅で缶ビールを買い、新幹線の座席に座るやいなや、プルトップを引く。500ミリリットルを一気に飲み干す。旅の終わりの至福の一瞬。


追記
 この後、高宮宿から武佐宿(泊)をへて9月11日に草津宿に着いた。草津から京都までは東海道と同じ道になるので、中山道69宿は一応ここまで。

              2010-09-22 up


       磨針峠から琵琶湖方面



    鳥居本の家並み 人影は全く見えない。
    右手後方には石田三成の居城があった佐和山がある。



    草津宿 東海道と中山道の合流点に立つ追分道標



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