2010年8月 課題:船・舟

和船と黒船

                             

 昭和20年代の後半、船でお台場に渡ったことがある。今のように進出する陸地に飲み込まれる前、お台場は東京湾に浮かぶ無人の島々であった。田町駅近くに住んでいた私達の所に、父母と同郷の「末」と呼ばれていた若い男性が遊びに来た。末さんは警察予備隊に入っていて、休みの日に訪ねて来たのだ。

 誰が言い出したか、お台場へ行こうということになった。東京湾が田町駅のすぐそばでは山手線の内側まで入り込んでいて、小さな入り江となっていた頃だ。田町駅近くの船宿で、小さな和船を1艘借りた。私達家族4人は末さんの漕ぐ和船に揺られて、台場の岸に上がり、母の作ったおにぎりを食べて帰ってきた。艪を漕ぐ末さんが格好良かった。

 両親の故郷、豊橋市西七根では、戦後しばらく地引き網漁が盛んであった。網を仕掛けるのは舷側に数本の艪のついた和船であったから、末さんも村人と共に漁に出て、漕ぎ方を身につけたのだろう。ボートのオールのように進行方向と平行に水をかけば船が進むことは、直感的に理解できるが、和船のように船の進行方向と直角の方向に艪を動かして船が進むのが不思議であった。

 一度はやってみたいと思っていた、和船漕ぎを体験できたのは、大学生の時、静岡県戸田湾でのこと。漕いでみるとそれほど難しくはなかった。艪を伝わってくる水の力がなるべく大きくなるような艪のさばき方は、少しやっているうちに体得できた。ポイントは艪を押す時には向こう側へ、引く時には手前側へ、手首を使って艪を軸に沿って回転させること。

 幕府がお台場を築くきっかけとなったのはペリーが率いた4隻の黒船。2隻が蒸気船で、2隻は帆船であった。蒸気船は外輪船だった。舷側でくるくると回る巨大な水車は、黒船の衝撃を一段と強めたことだろう。

 和船と艪について調べてみた。日本だけのものかと思っていたら、中国から入ったもので、東南アジア一帯に広く使われているとのこと。ヨーロッパにはない。艪の横断面は平板ではなく、飛行機の翼のような断面をしている。それが水中で回転することにより揚力を受け船が進む。スクリューで船が進むのと同じ原理だという。一方、外輪船はオールで漕ぐのと同じ駆動原理で進む。驚いたのはオールよりも艪の方がずっとエネルギー効率がいいこと。

 オールと艪の効率の差は外輪船とスクリュー船との差となって現れる。イギリスで同じ馬力のスクリュー船と外輪船が綱引きをしたところ、スクリュー船が圧勝したという。スクリュー船が実用化されたのは19世紀の中頃、日本の幕末期。たまたま、8月15日のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で、長州藩と亀山社中がイギリス商人と軍艦の購入交渉をする場面が放映された。亀山社中の近藤長次郎は外輪船ではなく、スクリュー船が欲しいと強く主張していた。

 アジアの人々はスクリューに先立つこと2000年も前から、艪を使っていた。世界に誇るべき発明だ。

 貴重な和船と艪の伝統を絶やさないためにも、遊園地や池に小さな和船をおいたらどうか。艪一つで和船を操る男の姿は、家族や彼女からきっと見直されるだろうに。                              

           2010-09-01 up


エッセイ目次へ