2009年9月  課題:名刺

名刺交換
                             
 初めて自分の名刺を作ったときは、やっと自分も一人前のサラリーマンになったと思った。20代の中頃だった。会社のロゴマーク入りの名刺を会社が作ってくれるようになったのは、かなり後のことだったから、当時は自費で名刺を作った。以後、定年まで名刺との縁は切れることなく続いた。

 サラリーマン生活の前半は、研究所でフラスコとにらめっこの生活だったので、交換した名刺もそう多くはない。後半は管理的な仕事、あるいは営業の仕事もあったので、たくさんの名刺を交換した。もらった名刺の数が、ビジネスマンとしての実力に比例するような気もした。もらった名刺は、名刺ホルダーで整理した。パソコンが普及してからは、パソコンに入力した。しかし、こうして整理した名刺も、その利用価値は意外に小さい。時間をかけてパソコンに入れた500枚ほどの名刺データベースもほとんど活用されなかった。名刺を交換した相手に再度連絡を取りたいと思うことが余りないからだ。名刺交換の大半はその場限りのもの、社交上の儀礼、初対面の人同士の握手に等しいものなのだ。

 そのことを痛感したのはサラリーマン生活も最後に近い10年前、香港で開かれた「たばこ博」に参加したときのこと。私のいたフィルター会社もブースを出展し、4日間ほど、世界中のたばこ関係者に製品の紹介を行った。会期の中頃にフェア参加者の懇親のため、カジュアルな宴会があった。たまたま丸テーブルを囲んだのは私達同僚5人と、地元香港のシガー販売業者数人。同僚のひとりが、早速名刺を渡したのを機に、私達全員が名刺を渡し会話が始まった。相手は名刺をくれなかった。はずむ会話ではなかったが、中国へ返還されても香港は相変わらず自由である、といった話を聞くことが出来た。宴会が終わると彼らはサッと席を立って行ってしまった。テーブルの上を見ると、私達が先ほど渡した名刺がそのまま置かれていた。なんと失礼なと思った。同時に、すぐに名刺を出したがる日本人の風習も考え物だと思った。

 もともと名刺交換は日本から始まり、世界中に広がったとされている。欧米のビジネスマンは名刺を持たないと聞いていたが、私が海外へ行きだした三〇年ほど前にはすでにほとんどの欧米人が名刺を持っていた。数年前に処分したサラリーマン時代の名刺の束のなかには、かなり多くの外国人の名刺があった。

 ウエブの辞典、ウイキペディアには、日本人は商談の最初にまず名刺を出すが、外国人は別れ際に、次の連絡の確認のために名刺を出すと記述してあった。いわれてみると、思い当たることもあるが、多くの場合、私の方から最初に名刺を差し出して挨拶するので、相手もそれに合わせて最初に出してきた。

 名刺でまず所属と地位を相手に示す、つまり組織を前面に出して行う日本流ビジネスと、組織よりもまず人物の力を見極めようとする欧米流のやり方の差が名刺交換の差に表れている。

 相手の肩書きに威圧されることもなく、不要な名刺をもらったりやったりすることもないから、欧米流のやり方がいいと、今は思う。
        
           2009-09-17 up


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