2009年7月 課題 : 蛍

 平成筑豊鉄道

 平成筑豊鉄道は、福岡県東部を走る第三セクターのローカル線だ。直方から行橋までの40キロが主な路線で、田川市はその中間、やや直方よりに位置する。私が第2の職場として勤めた会社の本社と工場は田川市にあって、私は毎月1週間は田川に出かけていた。

 運転免許を持たない私は、田川で休日を過ごすときには、この鉄道をよく利用して出かけた。直方―行橋間を全線踏破したと私が言ったら、同僚は「うちの会社には他にはそんな人はいないのではないか」と言った。200人ほどの社員のほぼ全員がマイカー通勤で、どこへ行くにも車だから、この鉄道を利用する人はまずいないのだ。

 私が宿泊する会社の寮から一番近い駅、糒(ほしい)までは徒歩で20分ほど。夏の夕方、散歩がてらに初めて糒駅まで行ってみた。驚いた。駅というから駅前には多少のにぎわいがあると期待して行った。無人の駅舎と夏草に埋もれたようなホームには人影はなく、人家もまばらな駅前にも人の気配が感じられなかった。やがてエンジン音に混じってガタゴトと車輪の音が聞こえてきた。やってきたのは直方行き1両編成のジーゼルカー。まるでレールの上を走るバスのようだ。運転手1人きりで、乗客はいなかった。

 平成筑豊鉄道の乗客の主体は高校生と高齢者だ。通常、車両は1両。窓にはブラインドではなくカーテン、車内には家庭用のゴミ箱がおいてあったりして、あたかも室内という雰囲気。乗客同士の会話にもそうした雰囲気が漂う。

 全線を通して田園風景が展開するが、特に田川―行橋間はそうだ。この区間にはまた駅名にユニークなものが多い。「赤」「東犀川三四郎」「今川河童」。

「源じいの森」という名の駅もある。「内田」「赤」「油須原」と続く田川郡赤村の4つ目の駅だ。かつて赤村出身の歌手、西川峰子は「私の村には電氣もない」と言ったという伝説がある。それほど人の手が入っていない自然が残っているところだ。豊かな森を清流が流れ、ゲンジボタルが生息している。「源じいの森」という駅名はそれから来ているとも言われるし、また、おじいさんの名前から来たのだという説もあるとのこと。

 第2の職場も卒業に近づいた98年の5月中旬、田川の寮で雀卓を囲み終わった4人で、車で源じいの森にホタルを見に行った。流れの上の真っ暗な空間にホタルの軌跡を見ることが出来た。その数、10数匹くらいであったろうか。

 疎開先の豊橋の田舎で見て以来、半世紀ぶりに見るホタルだ。子供の頃見たホタルはヘイケボタルで、ゲンジボタルよりひと回り小さい。捕まえたホタルが手のひらの上で光った。暖かみのある光だったという記憶がある。それに比べると初めて見るゲンジボタルの光は、青白く、冷たい感じだった。空間の一点が突然青白く光ったかと思うと、それは弧を描き、また空中の闇の中に消える。軽やかで、はかなげで、どこかもの悲しさが伴う軌跡だった。

 私が田川に行っていた頃の平成筑豊鉄道は意外にも黒字であったが、2004年度からは赤字に転落し、昨今では存続すら危ぶむ声があるとのこと。交通弱者の足として何とかがんばってほしいと思う。

                   2009-07-22 up

 2009−08−14 訂正
  もとの文の最後は
「意外なことに、平成筑豊鉄道は黒字だ。田川市民病院への通院など、昼間、車を持たない人々の足として利用客が多いのだろう。車社会のなかでのこの健闘は称賛されてよい。」
としていたが、その後調べたら赤字であることが判明した。よって上記のように訂正した。


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