2009年5月 課題: 飛行機

初めての飛行機


 初めて飛行機に乗ったのは30年余り前、37歳の時だ。アメリカの学会で研究成果を発表する機会を得たのだ。初めての外国行き、初めてのフライト体験に期待と緊張と不安を胸に羽田空港に行った。予定ではノースウエストの便でシアトル経由、ワシントンへ行くことになっていた。ところが、そのフライトが機体整備不良でキャンセルになった。同じ航空会社が手配したアンカレッジ経由でシカゴに入り、そこからワシントンへ向かうルートに変更した。

 入国手続きはアンカレッジ。私は前の人のすぐ後ろについてのこのこと審査官のカウンターに向かった。とたんに大声で怒鳴られた。何を言っているのかわからない。身振りから後ろに引いてある黄色い線のところで待っていろと言っているのがわかったのは、しばらくしてからだ。初めて踏む外国の地での最初の体験が、衆人環視のなかで怒鳴られるという惨めなものになってしまった。

 シカゴ乗り換えもハラハラだった。夕刻のシカゴオヘア空港は離着陸ラッシュで、私の乗ったフライトは、着陸許可を待って空港上空を1時間近く旋回した。やっと着陸したときには、乗り継ぎのワシントン行きの出発時間が迫っていた。ばかでかいオヘア空港の中をスーツケースを引っ張りながら走った。ワシントン行きの便はアンカレッジからの便を待っていてくれたので乗ることができた。満席のワシントン行きに乗り込みひと安心していると、大柄な男性乗客がやってきて、私になにやら言う。また私がミスをしたのかと身を固くした。私の座った座席番号がその乗客の座席番号でもあったという、ダブルブッキングトラブルだった。私はそこに座り続けたが、やってきた乗客乗務員も、その乗客も「言葉もよく通じない外国人などこんな混んでいる便に乗らなければいいのに」と言いたげな表情に見えた。

 ワシントンに着いたのは夜も更けた頃。現地に滞在していた同僚が迎えに来てくれていて安堵した。ワシントンには空港が3つあって、私が着いたのは、当初予定した空港とは違う空港であった。フライトの変更を同僚に連絡できなかったので、彼は航空会社にいろいろ聞いて、私のフライトを突き止め、6時間も遅れて別の空港に着いた私を迎えてくれたのだ。
 飛行機搭乗の初体験は遅かったが、その2年後ヨーロッパに半年ほど滞在し各地を訪問したので、堰を切ったようにたくさんのフライトを体験した。その後も海外出張が年に2回はあったのでヨーロッパ、北米のみならず南アフリカまでも出かけていった。ほとんどの場合1人旅であった。国内線に初めて乗ったのは、初搭乗から12年も経ったときであった。

 乗務員のストライキ、天候不良によるキャンセル、あるいはバゲージが届かなかったりと、フライトにつきまとうトラブルにも何回も遭遇した。しかし、散々であった初めての飛行機搭乗体験が、一種のワクチンのように作用し、私は大概のフライトトラブルにじたばたすることがない。それどころか、例えばパリからブラッセルへのフライトが雪でキャンセルされ、その代わりに雪の夜道をバスで行ったことなど、トラブルは旅を印象深いものとしている。

        2009-05-20 up


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