2009年3月 課題 : 靴

靴は同じだった


 松坂大輔が甲子園で優勝した年の夏だから、もう10年以上も前のこと。NHK文化センター下重暁子のエッセイ教室の受講生十数人で、軽井沢・佐久平への1泊旅行をした。教室4年目、下重先生のお誘いで、軽井沢の先生の別荘を訪れることになった。

 旧軽井沢銀座を抜け、林の中をしばらく登っていったところに、先生の別荘はあった。旧軽井沢銀座の喧噪がウソみたいに静かで、ひんやりとした空気に包まれている。斜面に建つ別荘は2階建てで、有名な建築家の手になるという。庭に向かって開け広げられた吹き抜けの広い部屋でお茶をごちそうになる。庭は自然のままで、わずかに人の手が入っているのはバーベキュー用の切り株を模した椅子と、炉と、そして木の上に作った小鳥の餌箱だ。境界がどこまでかわからない。明治時代に宣教師たちによって別荘として開かれたという由緒ある土地だ。軽井沢でも恐らく超のつく一等地だろう。ソファと椅子と、片隅に食卓があるだけの簡素な室内には、エジプトの敷物や、中国の彫刻などがさりげなく置かれ、天井から下がった蓑虫形の照明も洒落ていた。

 お茶の後、先生ご夫妻も一緒に、全員で佐久平へ移動した。今度は受講生の佐塚さんの別荘見学。佐塚さんは郷里の佐久平に別荘を建てたばかりであった。

 佐久の街からかなり離れて、ゴルフ場の近くにぽつんと建つ佐塚さんの別荘も、驚くほど立派で、贅沢な作りだった。道路から下がった敷地で、北側の玄関を入り、階段を下りると1階の広間。その先に広いベランダがあり、ベランダからは広い階段で庭に下りる。2階には和室が二つ。その他に広々としたスペースがあって、飾り棚には、陶磁器類や、世界各地から求めた装飾品が飾ってある。広い方の和室には、絵画が3点。いずれも名の通った画家のもの。

 下重先生といい、佐塚さんといい、私にはどう転んでも及ばない家と調度品だ。この差は何から来るものだろう。もちろん経済力の差がある。だがそれだけではない。幼い頃から慣れ親しんだ生活様式や、培った調度品、美術品に対する鑑識眼といったものがまったく違うのだ。それは各家庭の伝統の差といえるものだろう。この差はいかんともしがたい。

 夕食は佐久の街で名物の鯉料理を佐塚さんにご馳走になり再び佐塚邸に戻る。私は佐塚邸に泊めて頂いたが、一部のメンバーはすぐ近くにあるペンションに分宿する。夜も更けてペンション組を送っていこうと、玄関に立った。玄関には、ありふれた黒のビジネスシューズで、大きさ、形が同じのが2足あった。一つが私の、もう一つが佐塚さんのだった。私より大柄な佐塚さんと、靴のサイズが同じであることに驚いた。それよりも靴底に記されたブランド名までが同じで、一層びっくりした。9歳年上の佐塚さんと靴に関しては好みが一致したというわけだ。

 履いてみればどちらが自分のかわかるだろと履いてみた。私も佐塚さんもどちらを履いても違和感がなかった。踵の減り具合も一緒。佐塚さんはひと月ほど前に買ったという。私もその頃購入した。きっと値段も同じようなものだろう。違うところは一つ。靴紐代わりのバンドの端に小さな金属の飾りのあるなし。結局ある方を私のとした。

余談
 佐塚さんも依然としてエッセイ教室を続けている。教室で佐塚さんはこのエピソードをあまり覚えていないとコメントした。そして「靴は足が濡れなければどんなものでもよい」と付け加えた。

                  2009-03-19 up

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