2009年2月 課題:エレベーター

スイスエフィシェンシー

 スイスの人は効率を重んじる。効率の良さが豊かな生活を支えており、人々はそれを誇りに思っている。例えばジュネーブの空港。チェックインの際に航空会社毎に別々のカウンターに並ぶ必要がない。スイス航空が一括で受け付けてくれるのでどのカウンターに行ってもよく、極めてスムースだ。

 30年余り前、半年ほどスイスのジュネーブに滞在した。ジュネーブに本拠を置く世界でも十指に入るF香料会社で、たばこフレーバーの勉強をするためだ。私が師事したディートリッヒ氏の口からも「efficiency」(効率)「efficient」(効率的))という言葉がよく聞かれた。F社には出勤簿もタイムカードもなかった。なぜですかと聞いたら、「Because it's efficient」。社長を初め会社の幹部社員の名前はすべて、アルファベット2字もしくは3字の略号になっていて、社内の連絡文書はその略号が記載される。タイプの際の手間を省くためだ。

 スイスは永世中立国としての立場を貫くために、国民皆兵制を敷いている。男子は20才になると兵役に服さねばならない。一定期間の兵役が終了しても、50才までは民兵として登録され、全員に軍服と銃と実弾が支給され、自宅に保管している。他の国では考えられないことだ。よほど国民に対する信頼がないとできない。私はディートリッヒ氏に、なぜそんなことをするのですかと聞いた。答えはまたしても「Because it's efficient」であった。いざという時、すぐに駆けつけられるというわけだ。第2次大戦が始まった時、スイスはたちどころに50万人の軍隊を動員し、国全体を要塞化したため、ヒトラーもスイスへの侵攻を断念したという。

 私が一番身近に感じ、利用したスイス式効率は、止まらないエレベーター。F社の本社はアーブ河とローヌ河とが合流する地点に建つ、17階建ての当時ジュネーブでも有数の高層ビル。自社ビルである。建物にはエレベーターがあったが、それとは別に、ボックスが鎖状に繋がり、常時動いているエレベーターがあった。いってみればエレベーターとエスカレータの両方の機能を持ったもの。2人が乗れるボックスには扉がなく、切れ目なく続き、休むことなく動いている。廊下側にも扉がないから、空いているボックスが来ればいつでも乗れる。乗るときも降りるときも乗客はボックスの床面が廊下と平行になるタイミングを見計らって乗り降りする。止まらないからちょっと注意が要るが慣れると危険はない。鎖状に繋がってループを形成するボックスは、屋上と地下で方向転換し、隣り合わせの上下2本のエレベーターとなる。

 上がりの場合、奈落からせり上がる役者のように床面から乗客の顔が上がってきて、やがて天井へと消えて行く。下りの場合は天井から足が下りてくる。ボックスに乗った2人が、廊下で待つ人に軽く手を挙げ挨拶を交わしながら過ぎていく。1回か2回見送ればすぐに空箱が来るから、待たずに乗れる。

 このようなエレベーターにはその後出会わなかった。それだけに一層、あのエレベーターに乗ったままひと回りし、屋上と地下でボックスがどのように方向転換するか見届けて来なかったことが残念である。



補足
 「ウィキペディア」によると、各家庭に保管されている銃は突撃銃自動小銃である。実弾については、安全上の理由から2007年に回収され軍の保管になったとのこと。
                          2009-02-18 up

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