2008年11月 課題:新聞
読んでいない
  
「金子さん、たまには新聞を読んで下さいよ」と言われたのは、数年前、下重エッセイ教室の元受講生のJさんと話していた時のことだ。多分当時話題となっていた社会的な事件に関して、何も知らない私にあきれ顔でJさんは言ったのだ。今年の春も、やはりエッセイ教室の集まりの際、Mさんに「硫化水素って、簡単に出来るのですか」と聞かれた。私はなぜそんなことを聞くのか不思議に思って、Mさんに問い返したら、「へー、硫化水素自殺がはやっていて大問題になっていることを知らないんですか」と、これまたあきれられた。もともと私は三面記事的な事件には関心が薄く、有名な事件でも詳細は知らないことが多い。そう言うことが話題に上ったら、知らないというのでは相手に失礼と思い、適当にあいづちを打ったり、曖昧にうなずいてごまかしている。MさんやJさんの場合、ずっと年下の女性ということもあって、気やすく「私は知らない」と言ったのだ。

 Jさんの指摘は正しい。定年退職後の私は新聞を読んでいない。

 サラリーマン時代の最後の10年ほどは、職場にある日経新聞を愛読した。もともとは研究畑の私も、最後は管理的な仕事、あるいは子会社では経営にもタッチする立場になり、ビジネスマン必読とされている日経新聞を手にするようになった。読みでのある新聞だと感じた。政治、経済、文化欄、将棋、連載小説。読む順はこの逆のことが多かったが、ほぼ全紙面に目を通した。読書欄に取り上げられた本もよく購入して読んだ。市場主義と経済のグローバル化を標榜する紙面からは、偏狭なナショナリズムとは無縁の国際協調と平和主義の香りが立ち上ってくるように感じた。私もいつの間にか市場主義とグローバル化の信奉者になっていた。

 その日経新聞とも定年後は縁が切れた。今はパソコンでインターネット上のニュースを見るのが私と世の中との最大の接点である。景気対策を巡る政府要人の発言も、政治的立場では対極にあるオバマとチェイニー副大統領が遠い親戚関係にあるということも、その日の株価も、その日のイチローの打撃も、オリンピック惨敗直後の星野監督の発言も、すべてヤフーのニュース欄から得ている。

 ネットニュースの利点はいくつかある。簡潔で読むのに時間がかからない。一覧されたタイトルをクリックしなければ記事が出てこないから、読む記事の選択に主体性が発揮できる。無料で、購読紙以外の複数の一般紙、スポーツ紙の記事が読める。新聞よりも速報性が高い。取り上げたトピックスに関連する過去の記事や情報がすぐに引き出せる。マウスの操作だけで、記事をコピーでき、パソコン上に切り抜き帳を簡単に作れる。

 とはいえ、春から購読紙の朝日新聞を1個所読むようになった。毎日新聞に移っていた将棋名人戦と順位戦が、共催という形で朝日にも掲載されるようになったのだ。毎朝、将棋欄で棋譜を追い、観戦記を読んでいる。

 チラッとながめる紙面全体の印象では、以前より文化欄や特集記事が拡大、充実している。新聞が生き残る道をそちらに求めているようだ。名人戦掲載もその一環だろう。


                    2008-11-19 up
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