2008年9月 課題:京都

よみがえる愛ちゃん

 茨木市は大阪と京都の中間にあり、どちらへも電車で3,40分。そこに専売公社の茨木工場があり、私たち本社入社の同期生19人は昭和36年(1961年)5月から翌3月まで、新入社員実習訓練をこの工場で受けた。初めて住む関西。週末は、京都、大坂、奈良の名所をむさぼるように巡り、関西の山々に登った。多くの場合、同期生と連れだって工場の女性を誘い、数人のグループで出かけた。何しろ、1000人近い工場の従業員の8割ほどが20歳前後の女性という職場で、元気あふれるたくさんの女性たちと知り合った。

 愛ちゃんたちを誘って大徳寺と平安神宮に行ったのは9月の初め。大徳寺本坊の枯山水庭園を見て、座敷で抹茶を味わった。平安神宮では池の中の丸いコンクリートの飛び石に一人ずつ立った全員の集合写真を撮ったりした。

 年が明けて、茨木での生活も後1ヶ月となった3月初め、同期のIさん、私、愛ちゃん、愛ちゃんの同僚で同じく訓練指導員のHさんの4人で京都へフランス美術展を見に行った。帰りに河原町のちょっと洒落た料理屋で水炊きをたべた。訓練でお世話になった2人への感謝を込めて、接待したのだ。

 3月18日、琵琶湖の西岸に連なる比良山に登った。山好きの同期生がそれぞれ工場の女の子を誘って、思い思いのルートを通って山頂で集合する集中登山だ。私は愛ちゃんを誘って、一番難しいコースを、他の2組のペアと一緒に登った。途中、落石が愛ちゃんの真ん前に落ちてきてひやりとした。山頂はまだ一面の雪が残っていた。下山して、京都駅ビルで食事をし、駅前でパチンコをし、大坂の梅田の先、三国にある愛ちゃんの家まで送っていった。

「愛ちゃん」と皆から呼ばれていた彼女は、私と同年齢で、工場ではもうベテランだった。すらっとした体つきに物静かな大人の雰囲気を漂わせ、浅黒い顔にいつも笑みをたたえていた。テニスやダンスも上手で、工場のコートで軟式テニスを何回かやったり、ダンスクラブのパーティで踊ったりした。

 愛ちゃんに関するこれらのエピソードは、今回のテーマ「京都」に際し、アルバムと日記をめくっていて驚きながら「発見」したものだ。彼女のことは私の記憶からは消失していたのだ。祇園祭の宵山、醍醐寺と宇治平等院、大原の三千院と寂光院、清滝から嵐山。いずれも工場の女の子を誘い、あるいは誘われて行った。それぞれに一緒に行った女の子は覚えているのだが…。

 愛ちゃんの印象が薄いのは、さっぱりとした物静かな人柄にもよるが、いつも他の女性と一緒だったことが一因だろう。祇園祭と大原は同期生2人に女の子1人の組み合わせ。醍醐寺・宇治と清滝・嵐山へ同行した女の子は複数であったが、その中には私が思いをかけていた女の子、あるいは私が思いをかけられていると感じた女の子がいたから、記憶に残っているのだ。愛ちゃんを自宅へ送っていった時間は、唯一彼女と1対1で共有した時間だ。それも記憶にないのだから、お互いに好感以上の感情は持っていなかったのだろう。

 しかし、日記とアルバムから半世紀近くたってよみがえった愛ちゃんは魅力的だ。私は愛ちゃんに遅ればせながらの恋心を抱いた。

                     2008-09-17 up

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