2008年8月 課題:眼鏡

眼 鏡
                              
 かっとなって長男の頬をめがけて、横ざまに手を振ろうとした瞬間、私の脳裏を走ったのは息子の眼鏡を壊してはまずい、眼鏡に当たらないようにしようということだった。その思いのため、左頬に決まった私の平手打ちは、幾分迫力に欠けていた。本気で子供を殴った記憶はこの1回きりだ。長男が中学生の時だから、四半世紀も前のこと。

 きっかけはネコのことだった。「ニコチン」と名付けたそのネコは、小学生だった娘が路上で拾ってきた白と茶のオスのぶちネコだった。我が家で初めて飼うペットで、一家で奪い合うように可愛がった。その日、長男と次男のヒロがニコチンを取り合っていさかいを起こした。私は「ニコチンとヒロとどっちが大事なんだ」と長男をなじった。即座に「ニコチン」と答えが返ってきた。「もう一度言ってみろ」と私は声を荒立てた。「ニコチン」。瞬間的に私は手を挙げていた。

 夕刻のダイニングでの出来事だったから、家族全員がいた。その後で、私と長男がどのような振る舞いをしたかは記憶にない。家族の前で息子を殴るという私の生涯に一度の快挙にしては、その瞬間によぎった思いがみみっちいと情けない気持ちは残った。

 私が眼鏡をかけ始めたのは、中学2年の時だ。若い頃は近視がどんどん進んでいったから、数年おきに眼鏡を作り替えていた。私は乱視も入っていたから、レンズが高かった。豊でない家計にとって、私の眼鏡代は痛い出費だったと思う。眼鏡の度の進行がほとんどなくなったのは、30才前後だろう。それは私の肉体の成長が止まったことの証拠に思えて、悲しくはあったが、一方で、眼鏡の作り替えもなくなると思うとほっとした。

 レンズ交換だけでなく、フレームの破損もよくあった。以前のフレームはセルロイド製がほとんどで弱かった。若いから動きが激しく、滑り落ちた眼鏡のつるが折れたり、2つのレンズを結ぶフレームが中心部で折れたりした。修理できるものは自分で修理した。中学の時のアルバムには、折れたつるを布で巻いてつなぎ合わせ、その上からセメダインを盛り上がるように塗りつけた眼鏡の顔写真がある。レンズはまん丸だ。

 度が進まなくなってからも、破損は数回あった。運動中に汗をかき、滑りやすくなった眼鏡が飛んで落ちるのが原因だ。なにしろ視力検査の1番上の文字・記号が裸眼では読めない視力だから、バレーやテニスも眼鏡なしでは出来ない。つるに輪ゴムを巻いて滑り止めとする工夫をしたりしたが、それでも壊れた。痛い出費でそのたびに眼鏡をかけなければならない身を恨めしく思った。

 昨年、久しぶりに眼鏡を壊してしまった。起きる際、ベッド脇にある本棚の端に乗せてある眼鏡を取り損ねて、床に落としてしまった。打ち所が悪かったようで、レンズの一つに大きなヒビが入った。メガネ屋で作り替えた。厚くなるので今まで敬遠していたプラスチックレンズが、最近はガラス並みに薄くなっているという。そのレンズにした。これだと割れる心配はない。ついでにフレームも変えた。かけているという感じがしないほど軽い眼鏡だ。ただし、レンズとフレーム合わせて6万円を越える出費だった。

 眼鏡は相変わらず高い。
         
                  2008-08-22 up

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