2008年1月  課題:「偽」

氾濫するコピー

                             
 偽ブランド品を購入することは犯罪になるのか?
グーグルで「偽ブランド」「犯罪」と入れて検索してみた。厳密には犯罪にはならないようだ。たくさんのページがヒットしたが、ほとんどが偽ブランド品を購入することを厳しく戒めていた。

 ネットの検索で前々から気になっていたのは、ヒットしたページの文章表現が似ている、あるいはそっくりのものがかなりあることだ。上の例でも「
偽ブランド品の売り上げが犯罪組織の資金源になっていることは世界的に良く知られた事実」という記述が何カ所もあった。それで、上の文をスペースを入れずにグーグル検索した。こんなに長いキーワード検索はもちろん初めてのことだ。

 ヒットしたのは293件。コンピュータは長いキーワードを単語に区切ってそれらを含むページも抽出してくれるから、293件すべてに上記文章があったわけではない。上記文章そのものがあったのは33件である。

 明らかにオリジナルの文章をコピーしているのだ。中身を一つ一つ当たってみると、17件はある特定のサイトからトラックバックされた内容の紹介文であったから除外するとしても、16件が同一の文章を掲載していたことになる。

 この一文を引用し、それに独自の文案なり主張を展開するのならまだしも、文脈の中でのこの一文の使われ方は全く同じであり、全体としての構成、中身も同じと言っていいものだった。文脈の中では、「偽ブランド品を持つことは個人の自由であるという考え方もあるが」と述べ、ついで本文が来て、その後で偽ブランド品は購入しないように呼びかけている。ひどいのになると、この文を含むパラグラフ全体がそっくり同じである。

 偽ブランド品、つまり無断コピー品を購入しないように呼びかける文章が、誰かの文章の無断コピーであるとは、何とも皮肉だ。コンピュータの世界ではコピーがいとも簡単に出来る。上の一文にしても、マウスの操作だけで、そっくり自分のサイトに貼り付けることが出来る。同じコピーでも文章をキーボードから入力しなければならなかったら、これほどコピーが氾濫することはないだろう。手で入力する場合には文章が少しは変わってくることもあろうし、あるいは漢字変換も微妙に違ってくるだろう。例えば上の例では「良く知られた」が「よく知られた」となるかも知れない。

「偽のヴィトン」を売るのと違って、こんな文章をコピーしてネット上の自分のページに貼り付けたところで、金になるわけではないし、迷惑する人もいない。コピーが多いほど情報が多くの人の目に触れるから良いという考えもあろう。しかし、モラルの問題としてはどうだろう。上の文章を最初に書いた人は、たとえわずかであるとしても書いたときに自分のオリジナリティを感じていたはずである。物を書くとはそういうものだ。それを無視する行為は書き手のモラルとして許されない。

 ネット上には膨大な量の情報が溢れていて、容易に入手できる。便利なだけに、ネットからの無断コピーは陥りやすい落とし穴だ。物を書くのに、ネットへの依存をますます強めている自分への自戒としたい。

            2008-01-26 up
            
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