2007年12月  課題: コート

デッキチェアとコート


 もう25年以上も前になるが、初めてポルトガルを訪れた。ハノーバー、ストラスブール、ジュネーブと回ってリスボンに着いたのは10月の下旬。ジュネーブではコートを羽織っていたのに、リスボンはちょうど日本の4月の陽気。

 リスボンに1泊し、翌日、最南端のファロまで飛ぶ。ファロの空港に下りたときは、上着なしでもよいほどの暖かさだった。ファロから車で30分ほど、アルブフェイラという町にあるリゾートホテルで1週間過ごした。同業の技術者が各国から集まり、研究発表や共通の技術課題の検討を行う定例の会合だ。日本からの出席は私1人だが、発表もなく、会議の様子を傍聴し、情報を収集し、海外の同業者と顔見知りになることが主目的だった。

 ポルトガルはジブラルタル海峡の外側。断崖の上に立つホテルの前に広がる海は大西洋だ。着いた日は日曜日。広々としたホテルの前庭のプールでは泳いでいる人がいる。芝生の上のデッキチェアでは人々が寝そべって日光浴。女性の1人はトップレスだ。当地の緯度は日本でいえば日光の少し北になる。それでもこんなに暖かいのは海流のせいだろう。

 崖の下は砂浜になっていて、数百メートルがホテルのプライベートビーチだ。初めて接する大西洋。私も持参した水着に着替えて、ビーチに下りる。青い空に青い海。泳いでいる人もいる。私もおそるおそる入っていく。さすがに水は冷たく、どっぷりとつかることはしなかったが、穏やかな遠浅の海に膝までつかって、大西洋を味わったことにする。

 海岸から上がって私も人まねをして、庭のデッキチェアに寝そべってみた。欧米の人はそのように青い空を見上げながら「This is the life」あるいは「C'est la vie」(人生こうでなくちゃ)とでもつぶやくのだろう。しかし、私はそんな気にはなれない。ここまで来てデッキチェアに寝そべっているのはもったいない。しみ込んだ貧乏根性とでもいうのだろう、何かしてこそ初めて時間を有効に使った気がする。これは私だけではなく、日本人が多かれ少なかれ持っているものだ。私は早々にデッキチェアから起きあがり、ホテルのまわりを散策した。

 1週間で色々な国の人と顔見知りになった。これが機縁となり私はその後この組織の運営委員の1人に選ばれ、4年間ほど、世界各地での会合に出る機会に恵まれた。私が運営委員に選出されたのは、私個人の力ではなく、私の属していた会社という組織が背後にあるからだ。集団の力を借りずに1対1で欧米の人と向き合った場合、気押され、圧倒される。言葉の壁と体格の差が大きな原因だが、それ以外に、彼らの持つ余裕、個人としてしっかりと確立した人格が醸し出す雰囲気に負ける。それは集団でせわしなく名所を巡る日本人観光客と、悠然とデッキチェアに寝そべる彼らとの差でもあるようだ。

 リスボンからロンドン乗り継ぎ、アンカレッジ回りで帰国した。帰宅してスーツケースを開けてみると、コートが入ってなかった。ポルトガルでの快晴無風の暖かな1週間、コートを持ってきたことなどすっかり忘れて、スーツケースの詰め替えの際にどこかのホテルへ置き忘れてしまったようだ。

                          2007/12/19 up
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