2005年3月  課題 「お雛様

「雛鍔」

「お雛様」で心に浮かんだことは、半世紀ほど前にラジオで聞いた落語「雛鍔」だ。よい機会だから再度聞いてみたいと思った。ネットで調べたら、立川志の輔のCDがあったので取り寄せた。

 ある大店(おおだな)の若様が、穴あき銭を拾う。それが銭であることを知らない若様は、三太夫にこれは何かと聞く。なんだと思いますかと聞き返された若様は「お雛様の刀の鍔でもあろうか」と答え、三太夫は「御意にございます」という。近くで見ていた出入りの植木職人はすっかり感心し、家に帰ってかみさんにその話をする。人の顔を見れば「銭、銭、銭」、としかいわないうちのガキに比べて、何という違いだと嘆く。それを当の息子が立ち聞きしている。若様も、息子もともに8才という設定だ。

 数日後、大店の番頭が職人の家にやってくる。どこからともなく現れた息子は、手にした穴あき銭を「お雛様の刀の鍔」を拾ったと、番頭に見せる。お宅では銭も知らないような子供の育て方をしているのかと、感心した番頭はご褒美に、手習い道具一揃いをあげようと言う。息子に調子を合わせていた親父は、汚いからそんなものは捨てろと命じる。息子は「やだーい、これで焼き芋を買って食うんだい」と答える。

 私が大昔聞いたのは三遊亭金馬であったと思う。志の輔という名はまったく知らなかったが、テレビなどでも活躍している売れっ子の落語家とのこと。品もあり、テンポもよく、心地よい語りであった。

「雛鍔」の背景は江戸時代だろう。裕福で、おっとりと育てられた若様というから武家の若様だとずっと思い込んできた。武士階級のみが権力と富を握り、その他の人々は圧政と貧困にあえいでいた、という当時の私の江戸時代に対するステレオタイプな歴史観が、その思い込みの背景にはある。江戸時代に対するこの見方は、その後大きく変わり、町人は町人、農民は農民の立場で、それぞれの生活を享受した、何よりも戦乱とは無縁の時代だと思うようになった。

 数年前に福岡県の日田市を歩いたことがある。江戸時代天領として栄えた町並みが保存されている。その一つに江戸後期の著名な儒学者、広瀬淡窓の生家があり、広瀬資料館として開放されている。立派な装飾品、食器類とともに、豪華な雛人形が展示されていた。広瀬家は天領の年貢を扱う「掛屋」の一つで、年貢で上がる公金を利用して大名らに貸し付けていた。日田には掛屋やその他の豪商がいくつもあって、いずれも大名顔負けの豪勢な生活を営み、それを誇るかのように、京都から立派な雛人形を取り寄せて飾った。そうした日田の豪商の生活振りに照らしてみると、「雛鍔」の若様が大店の若様であっても、別に不思議ではない。

 私が昔聞いた落ちは「これで金鍔を買って食うんだい」だったと記憶している。金鍔といっても今ではなじみの薄い菓子で、それであえて現代風に焼きいもに変えたのであろう。この場合「雛鍔」だから「金鍔」がいいと思う。

「お雛様の刀の鍔」という見立ての絶妙さには今も昔もうなってしまう。一方で、植木職人の息子のしたたかな生活力にも胸がすく。


教室でのコメント:色々なコメントが出されたので、教室の雰囲気を紹介する意味で全部を以下に掲載
                  (05−04−20 UP)

講師 : 焼き芋では話にならない。ここは金鍔でなくては落ちにもなっていない。
金子 : 落ちにはなっていますが、やはり金鍔の方がいいと思います。
講師 : 金鍔は今でもあるでしょう。
OTさん(60代女性): 私は知らない。
KKさん(40代女性): 美味しいお菓子で大好きです。
Sさん(70代男性): いも金鍔というのもある。
ODさん(60代男性): 金子さんの作品はいつも文章が安定している。志の輔という落語家はサラリーマンから落語家になった人だ。
講師 : そうだったの。清潔な感じの落語家だ。金馬とは雰囲気が大分違う。
KOさん(60代女性): 金馬というのは「お笑い3人組」に出ていた人ですか。
金子 : いえ、その前の人です。
KOさん: ああ、出歯のあの人。
講師 : そう、出歯だった
金子 : そうです。お互いに年がわかってしまう。
ODさん : 戦争中、兵隊に行った落語家は誰も死ななかったという。軍隊では使い物にならなかったから皆、生きて帰れたそうだ。
講師 : へー、そうなの、初めて聞いた、こんどどこかで使わせてもらおう。
Mさん(70代男性): 数年前に日田を歩いたという文章がなければ何ともない文章だが、このところがあるから全体が生きている。うまい。
Sさん : 広瀬淡窓の詩は知っている。
金子 : たくさんの漢詩を作っています。
Sさん : 詩吟でよくやる。「三太夫」とか「御意にございます」などというのは、殿様の若様だと思う。
金子 : 一番先に、大店の若さまであることは明らかにされています。
講師 : お雛様は江戸時代になって急速に普及した。京や江戸から競って人形を入手した。そうして今に伝えられたお雛様を展示するのが近頃、各地の流行になっている。庄内藩も有名で、酒田や村上の雛人形展はすごい。江戸時代は余りにも華美になって、元禄の頃だったか、雛祭り禁止令が出たこともある。そのことも入れて欲しい。金子さんならできるでしょう。
金子 : 天保時代にはそんなことがあったので、天保雛は寛政の頃に比べて小さいとのことです。
講師 : そうそう、家にあるのは寛政雛で大きく立派なものだ。江戸時代は町人の時代だ。士農工商で武士は威張ってはいたが、実際は町人に頭が上がらなかった。「雛鍔」はのどかないい落語だ
金子 : 私もそう思います。好きな落語です。

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