2005年2月 課題「占い」

姓名判断

 私の名前「肇」の字画は14である。姓名判断では、14という数字は「苦労の多い悲運の凶数」などと表現される大凶数である。そのことを知ったのは20代中頃のことであった。名前の意味や響きはさておき、字画などで人の一生が支配されてたまるかと反発する反面、自己の主張を通し、人々を引っ張っていくことの苦手な私の性格のひ弱さをよく言い当てているとも思った。

 長男が生まれた時、命名に姓名判断の本を参考にしたのは、私自身の名前が私の運勢を暗示するところがあると感じていたからだ。「達郎」とつけた。響きも良いし、名前の字画21は吉数であり、姓名全体の字画32は「思わぬ僥倖をもたらすラッキーナンバー」である。

 長女の時は女性は結婚して姓が変わるからと思い、姓名判断は考慮しなかった。次男の時も一応は考慮して名前の字画は吉数とされる15画をあてた。

 我が家がインターネットに繋がった10年ほど前、ネット上の人気サイトの一つに姓名判断のページがあったので行ってみた。姓名を入れて、クリックすると運勢がコメントと点数で出てきた。私の点数は45点。名は悪くても、姓との関係で、総合的に見るとまあまあの姓名で、このサイトで判断してもらった40万人余の人のちょうど中間の順位であった。長男は高得点で、順位も全体の上位10%に入っていた。私のつけた名前はやはりよかったのだ。長女と次男の得点はよくなかった。特に次男の得点は下位10%に入るものであった。私と逆に名は吉数でも総合的にはよくないのだ。妻は長男と同じ高得点であった。結婚して金子の姓になったことは妻にとって吉だったのだと一人悦に入った。図に乗ってかつて思いを寄せた女性達を「金子」姓に変えて占ってみた。中に一人、上位1%以内に入るずば抜けた高得点の人が出てきた時は複雑な気持ちだった。

 今回、ネットで再度姓名判断を試みた。前回のサイトはもうなかったがたくさんの無料サイトがあった。結果は流派によって吉凶まちまち。数に固有の吉凶は同じでも、画数の出し方が違うのが原因だ。一字名の場合はその字画に1を足すやり方を採用するかしないか、あるいは新字体か旧字体を使うかで画数が違う。1を加える方法では「肇」は15画の吉数となる。長男は旧字体で数えると、総画が41画に大きく増え、運勢判断は余りよくないものとなる。

 流派によって吉凶の判断が異なる。姓名判断といわず、占いなど、しょせんはその程度のもので、遊び感覚でつき合えばいいのだ、と今は割り切っている。

 遊びついでに我が家の2匹のネコ、咋年夏に妻が路上で拾ってきて、私が「ラン」と命名した子猫と、18才になった「おばさん」の名前判断をやってみた。ネットにはペットの名前を占うサイトもちゃんとある。
 ラン、4画:健康はまあまあですが、自分の思った通りに飼い主がやってくれないのでイライラがつのります。
おばさん、15画:素晴らしい名前です。大吉数です。健康にも恵まれて言うことなし。ちょっと強情なところがありますが。

 18才という長寿は「おばさん」という名前のお陰と思うことにしよう。

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