2007年8月  課題:「失恋」

『涙のワルツ』
 
「教育上余り良くありませんが、歌っていいですか」とバスガイドさんは言った。担任のS先生は「ええどうぞ」と答えた。その言い方がぎこちなく、エンジニア上がりで理科を教える堅物のS先生らしいと思った。ゆっくりしたテンポで、哀愁を帯びた低音が車内の皆をつつんだ。中学の修学旅行で京都を巡った観光バスでのことだ。初めて聞く歌で、後半は英語であった。「父も母も」というフレーズと「father」「mother」「crying」というような断片的な単語が記憶に残ったが、どこが教育上悪いのかもわからず、題名も歌手もわからなかった。

 バスガイドさんは20才くらいの若いしっとりとした感じの女性だった。笑顔でやさしく気をつかってくれるお姉さん。英語入りの歌。旅先という非日常でのそんな初体験に、男子生徒のほとんどが彼女への恋心を抱いたとしても当然だ。しかし、京都巡りが終われば終わってしまう、はかない恋であった。別れ際に、クラスでもませた数人は彼女から住所を聞き出していたが、私にはそんな不良ぽい真似は出来なかった。

 6年前に、50年代アメリカのヒット曲を集めたCDを手に入れた。その中にあの懐かしいメロディーがあった。パティー・ページが歌う『I went to your wedding』という曲であることを知った。直訳すれば『私はあなたの結婚式に行った』という題だ。日本語版は『涙のワルツ』でペギー葉山が歌い、昭和28年春にレコードが出ている。修学旅行はその年の秋だから、バスガイドさんは当時としては最新の曲を披露してくれたのだ。

『涙のワルツ』のCDもその後手に入れた。愛しい人が別の男に嫁ぐ日、涙に暮れて花嫁姿を見つめるという失恋の歌だ。両方とも今聞くと、眠くなるような超スローの曲だが、それだけに情感たっぷりだ。

 4年前、S先生が亡くなった。お通夜の帰り、居酒屋でクラスメートのM君とS子さんとで先生を偲びつつ、昔話をした。何かがきっかけで、ちょうど50年前の修学旅行の話になり、あのバスガイドさんのことが話題になった。

 M君の話に驚いた。彼は彼女との出会いをはかない恋に終わらせなかったのだ。旅行後も彼女と文通を続け、やがて京都の彼女の家に泊まるまでになったという。彼女の母親は戦争未亡人。母親が靖国神社への集団参拝で上京したとき、彼が色々と世話をしたこともあり気に入られたとのこと。その後、彼女は同僚の運転手と結婚したが、子供が生まれた彼女の家庭にも行って泊まったことがあるという。

 厚かましいほどの人なつこいM君の図々しさにあきれると同時に羨ましかった。しかし、少年の日の憧れにも似た恋の後日談としては、心温まるいい話だ。M君が結婚してからはさすがに遠くなったが、それでも10年ほど前までは賀状のやりとりはしていたという。

 あの日彼女はこう歌ったのだ。

「胸に秘めし 君嫁ぐ日 心の灯も 消えて淋し あふれ来るは 熱き涙よ・・・」

 彼女はかなり年上だし、結婚の相手ではなかったとしても、M君が彼女の結婚にこうした気持ちをまったく抱かなかったかどうかは聞きそびれた。

補足
  
『涙のワルツ』の歌詞は以下のようだ:

胸に秘めし 君嫁ぐ日
心の灯も  消えて淋し
あふれ来るは 熱き涙よ
鐘は鳴り 君は今 永遠に去りゆく
心にぞ ささやきぬ 君よさらばと
父も母もほほを濡らし 我も泣きぬ
いとし君と 別れゆく日に

Your mother was cryin'
Your father was cryin'
And I was cryin' too
The tear drops were falling
Because we were losing you

   訳詩・作詞 音羽たかし

 こうして書き出してみると、失恋の歌だとよくわかる。しかし、耳で聞いて文語調の歌詞を聴き取り、意味をつかむのは、中学生には難しかったのだろう。特に出だしの部分「キミトツグヒ」を「君嫁ぐ日」とは理解できなかっただろう。ここは一番のキーになるフレーズだから歌全体の意味もよくわからなかったのだ。歌全体が低く哀調を帯びていることも聞き取りにくい原因だ。

 英語の部分は本歌と同じだ。ここの 「Your mother was cryin' Your father was cryin'」というフレーズは疑問に思った。[Your]とあるからこれは花嫁の両親のことだ。最初、「私」と同じ気持ちで泣いているのかと思ったが、それは不自然だ。両親は娘の花嫁姿に感涙しているのであって、「私」に同情して泣いているのではないと考える方が自然だ。「私」とは涙の中身が違うのだ。娘の花嫁姿に涙を流すといったベタベタした親子関係はアメリカにはないと思っていたが、そうではないのかも知れない。

 パティー・ページにはもう一つ失恋の歌がある。『テネシーワルツ』だ。日本語版は江利チエミが歌い、こちらの方は大ヒットした。パーティで紹介した友人が私の愛しい人とテネシーワルツを踊り、愛しい人を奪ってしまったという歌だ。
                            
2007-08-22 up

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