2007年6月 課題:「魚」 ネコたちの嗜好 「ネコまたぎ」という言葉を知ったのはドイツのハンブルクでのことだ。出張した際、当地の駐在員が夕食に誘ってくれたのは魚料理の店。「ゼーツンゲ」(Seezunge)、直訳すれば海の舌と呼ばれるシタビラメのムニエールを注文した。フライパンほどの大きさのシタビラメだったが、1匹を残さず食べた。皿にはシタビラメの骨格標本のみが残った。それを見た駐在員は「こういうのをネコまたぎっていうんですよね」といった。私の食べ終わった皿の上をふくれ面してまたいでいくネコに、「どうだ」と威張ってみたら愉快だろうと思った。 私は魚が好きできれいに食べることにかけては自信がある。なのに飼い猫のランときたらマグロの切り身の上をまたいで通るようなネコだ。ランの前にいたネコたち、おばさんも、その娘のミーも魚には目がなかった。 おばさんは特にカツオやマグロの水煮の缶詰が大好きであった。家に迷い込んできた当初から、缶詰を与えたからであろう。流しで缶を開ける家人の足下にすり寄り、伸び上がって流しの縁に手をかけて催促していた。そのうち、ネコ缶に限らず、家人が缶切りを持ち出しただけで条件反射的に鳴き声を上げてすり寄るようになった。そんなにうまいものなら、ビールのつまみになるかもと、おばさんの缶詰の煮こごりのように固まった中身を一つまみ口に入れてみた。取り立てて味がない中に、生臭さのみが口いっぱいに広がり、とても呑み込めなかった。しかしこれが魚本来の味と匂いなのだ。とすれば私たち人間が魚を食べられるのは、塩や醤油の味と香りの助けによっているのだと実感した。 ミーの大好物は削り節。冷や奴やおひたしにかけようと削り節の小袋を持ち出すと、ミーはもう大騒ぎで「ミーミー」鳴いて食卓にあがってこようとした。足下の餌皿に一つまみ入れてやると、そちらに飛んでいくのだが、興奮し荒い鼻息で、餌皿の削り節を吹き飛ばしてしまうミーの姿が今は懐かしい。 ランも子供のころは魚を食べた。それがいつの間にか、粒状のキャッツフード一本になってしまった。 ランが育ち盛りのころ、削り節をかけたホウレンソウのおひたしに興味を示して食卓にあがってきたことがあった。ミーのように削り節に飛びつくのではなく、ホウレンソウを食べたそうであった。それで、ホウレンソウを与えると、ぺろりと食べてしまった。ランは植物をよく口にしている。雑草のスズメノカタビラを食べていたし、私がプランターに植えたイネが20センチくらいになったとき、上半分をランに食べられたこともある。先日も、道路脇のメヒシバを食べていた。3種ともイネ科の植物で、何か共通の味がするのかもしれない。 先日、刺身のマグロの赤身を餌皿に一切れ入れたが、翌朝まで残っていた。粒状のキャッツフード以外はランの食欲をそそらないようだ。こうしたランの嗜好は、離乳食にペースト状とはいえ既製のキャッツフードを与えたことによるのかもしれない。 ランが命と頼む食物の味はどんなものか、飼い主として確認しなければならない。キャッツフードの一粒を口にしてみた。それは酵母を錠剤にした「エビオス」という商品に似た味とざらざらした粉っぽい食感であった。ネコがよくこんなものをと思った。もちろん私のビールのつまみになりうる代物ではなかった。 補足 教室での合評会の際、「ネコまたぎ」の意味が問題となった。数人が持ち合わせていた電子辞書で引いてみると、いずれも私の使ったような意味は載っていなかった。 広辞苑の記載は: 【猫跨】魚の好きな猫でもまたいで通り越すほどまずい魚 こちらが本来の意味であることを講師の下重さんも知らなかったと言い、驚いていた。 本来の意味とは違っても私のような使い方も広く通用していることは確かだ。 ランとキャッツフードと餌皿 2007-06-20 up |
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