2026年3月 課題:スキー

スイスで滑った

 1978年の秋から翌年冬にかけて、スイスのジュネーブにある香料会社でタバコ香料の研修を受けた。研修がもうすぐ終わる1月の中旬、世話になったムルナーさんからスキーに誘われた。

 金曜日、勤務を終えてジュネーブから汽車で2時間ほど、ベルンの郊外にあるムルナーさん宅へ。彼が自分のスキーと靴の中から私に合うものを選んでくれる。夕食後、3階のバストイレ付きの客室で一夜。

翌土曜日は、ムルナーさんの息子さんの案内でベルンへ。小さな町で、国際都市ジュネーブに比べると古風で静かな町だ。2時間ほど歩く。ベルンはスイスの首都であり、政府機関はここにある。驚いたことに連邦議会前の広場には野菜や果物を売る屋台が並んでいた。さらに教会近くの路上にも屋台が並んでいて、こちらは皮を剥がれ、内臓をぬかれた兎がずらっと吊されていた。

 午後、息子は残して、ムルナー夫妻の車でシュバルツゼー(「黒い湖」)近くの彼の山荘に向かう。2階建ての山荘の周りは50センチほどの積雪。すぐに門から玄関までの雪掻きを半ば命令された。終わると今度は隣接の牛舎の前の雪掻き。ムルナーさんは15頭の乳牛をもっていて夏の間はこの牛舎に入れ、近くの牧場で放牧しているとのこと。やっと牛舎の雪掻きを終え家に入ると、台所に呼ばれる。今度は硬く凍った牛肉の塊を切り出す作業でこれが大変だった。ナイフの刃がまったく立たない。体重をかけて押すようにしてなんとかスライスにした。

 夕食を終わると、9時頃牛の飼育を任されている夫妻がやって来た。暖炉を囲んでワインを飲みながらムルナー夫妻と盛んに話し込む。スイスジャーマン語だから私には全く分からない。それでも私は2時間ほどワインを付き合ってから部屋に引き上げた。

 翌朝、ガールフレンドを連れてやって来た息子と、ムルナー夫妻、私の5人でシュバルツゼーのスキー場に向かう。息子は医学生、彼女は看護婦さんで流暢な英語を話す美人だ。結氷したシュバルツゼーはスキードフォンというスイスでは人気のクロスカントリーができ、好天の日曜日とあり、大勢のスキー客で賑わっていた。足の悪いムルナーさんを除き、ムルナー夫人と若い二人と長いリフトで一気に1700メートルの頂上まで登る。パウダースノー、快晴。頂上のゲレンデで4人で滑る。私にはほぼ10年ぶりのスキーで、なかなか調子が出ない。若い二人はパラレルでスイスイ滑る。50歳前後と思われるムルナー夫人も安定したすべりだ。頂上のゲレンデで足慣らしをして、最後は夫人と二人で長く、広々としたダウンヒルコースを滑り降りた。疲労もあって途中何回かころんだが、怪我もなく何とか夫人の後について行けた。これが私の生涯最後のスキーとなった。

山荘に戻り、昨日私が苦闘の末切り分けたビーフステーキの遅いランチ。

客人を特別扱いしないどころか、家事の手伝いをさせ、客人とはまったく関係のない会話を延々と続け、普段の生活のペースに巻き込んでしまうというのがスイス流の客のもてなし方のようだ。家族の一員として扱われたのはうれしかったが、作業はきつかった。

夜の汽車でジュネーブに帰った。レマン湖の上に満月が冴えていた。

2026-03-26 UP


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