2025年12月 課題:年の瀬

去年今年
                              
 
年々一年が淡淡と過ぎて行く。サラリーマンをやっていたころは、年の瀬は意味があり、多くの忘年会をこなし、一年を振り返り、沢山の年賀状を書き、気持ちを新たに新年を迎えたものだ。退職後は次第にそうした年の瀬の過ごし方が薄れていった。

 こうした傾向は俳句に熱中しだしたここ5,6年特に顕著だ。月4回の対面句会、3回のメールによる句会に参加し、そのうちのいくつかは私が会報をまとめている。さらに吟行や鍛錬会が合わせて年に10回ほど。そうして作られた句の中から5句を選んで『天為』へ毎月投句する。その他、下重暁子のエッセイ教室へ毎月作品を書き、それをホームページに掲載する。これだけのことをこなすうちに一月はすぐに過ぎ、一年もまたすぐに過ぎる。毎月が同じルーチンで過ぎていき、暮れだ、正月だ、あるいはゴールデンウイークだと特別扱いすることはない。

 虚子の代表句の一つとしてこんな句がある。

去年今年貫く棒の如きもの  高浜虚子

去年今年とは「大晦日の一夜が明けて去年から今年に移り変わること。新年の季語」(角川大歳時記)。芭蕉のころからある季語で、角川大歳時記には鬼貫の句を筆頭に76もの例句が掲載されている。

 さまざまな解釈があるが、私は単純に、暦に関係なく、また人間の感情とか思惑に関係なく、時間というものは非情に流れて行くと解釈した。それ故、大晦日も元日もその他の日々と変わりなく、肝心なことは一日一日をしっかりと生きて行く事だと。それはまさしく今の私の心情である。

 この句を知ったのは俳句を始める前。何かの本で知った。それからほどなくして私も俳句を作るようになった。心に残る句だったので、この句に倣った句をいくつか作って句会に出したが、初心者の愚作として共感はまったく得られなかった。それでもこの句はつねに私の心のどこかにあった。

 俳句を始めて5年目に得た句

 去年今年貫く如き撞木かな   

  大晦日の夜、僧侶が思いきり引いた撞木が鐘にぶつかって行くのがまるで去年と今年を貫くように思えた。私の属する結社天為の東京例会に出してみた。有馬朗人主宰の選を得た。特選を得ると主宰の選句コメントがあるのだが、並選だったのでコメントはなかった。ただ、李白の白帝城の詩を本歌取りした句が特選になり、そのコメントの中で私の句にも触れ、「本歌取りをする場合はもう一歩本歌の上を行かなければならない」と言われた。虚子の「棒」を「撞木」に限定してしまっては、句の広がりが大きく違う。

 虚子がこの句を作ったのは昭和25年12月20日で、新春放送用である。虚子76歳。この句を見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたという。時の流れを棒のようなものと捉える感覚は、高齢者ならではのことだろう。

 私が上の句を得たのも76歳である。


   2025-12-17 up


エッセイ目次へ