2025-07 課題:波
何でも食べる、食べられる
田川に出張した帰り、福岡空港であごとさよりの丸干しを買った。
帰宅後二つをあてにビール。まずあご。丸ごとかじる。固い。だが私の歯なら大丈夫。何も残さず食べた。次いでさより。固そうだと心配する妻に、「私の歯が食べられないものはない」と言って、20センチくらいのやや飴色をした細長い魚に挑む。下顎がカジキマグロのように鋭く突き出ている初めて見る魚だ。頭からかじりはじめた。これも固い。頭を食べ終わって胴の部分を噛み切ろうと左の歯で思いきり噛んだ。そのとき「ポッキ」というような音がした。それは妻にも聞こえるほどの大きさだった。さよりの骨がかみ砕かれた音ではなかった。
私の歯がやられたと思った。前から4番目の下の歯の半分がぐらぐらした。縦にひびが入ったようだ。この歯は虫歯にやられていて10年ほど前に神経を抜いて、詰め物をしてあった歯だ。詰めていたものも取れた。神経がなかったので、痛みはそれほどでもなかった。右側で噛むようにしてご飯は食べ終わった。
翌日は日曜だったので、1日おいて歯医者に行った。
医師は何もいわずにいきなり、ぐらぐらする部分をとってしまった。診療台の横に載ったその部分は正常な歯の半分ほどで、真ん中に小さな穴が空いていた。医師は「竹を割ったようにすっぱり割れていました」と言った。まだ残っている歯に詰め物をして、銀をかぶせた。すべてが自分の歯であることへのこだわりを言ったら、全部が自分の歯であることは変わらないと言ってくれた。
これは30年近く前、60歳になる少し前のこと。私が初めて歯医者にかかったのはその10年程前。
ある日勤務中に突然下の左第一小臼歯と右上の臼歯が痛みだした。初めて体験する歯の痛みで、口で息をしただけで痛く、当時の職場には内科医の他に歯科医も常駐していたので、飛んでいった。虫歯で、神経を抜いて詰め物をしてもらった。医師にはいい歯をしていると褒められた。そんなことを言われるのが不思議だったが、300人弱の人員の職場に常駐の歯科医がいることは、それだけ患者が多いと言うことなのだ。
歯が欠けるアクシデントがあったあと、現在までに奥歯2本が虫歯になり、歯茎も弱ってきたが、それでも28本、生えてこなかった親知らず4本も含めると32本の歯は1本も欠けることなく揃っている。
私は朝しか歯を磨かなかった。朝に加えて夜も磨くようになったのは60歳頃からだ。それでも50歳近くまで歯医者のお世話になっていない。歯が丈夫かどうかは手入れよりも、遺伝と食べ物の影響が大きいと思う。両親も歯の話はしなかった。子供の頃は甘い菓子などめったになかったし、貧しい食事だったが、好き嫌いなく何も残さずにきれいに食べた。若い頃、キャンプの際など残さず食べてしまうので、山仲間からはディスポーザーと言われたこともある。
干物やちょっとした大きさの焼き魚は、今でも頭から骨まで食べてしまう。外で食事する場合、周りの人が頭も骨も残して食べるのをみて、私の食べ方は卑しい育ち丸出しで、マナーにかなってないのではと思うこともある。
先日、エッセイ教室のメンバーと京都清滝川の川床料理を楽しんだ。洒落た料理が並ぶ中に、鮎の塩焼きが出た。私はこんな席で丸ごと食べるのはまずいかなと思った。そしたら、メンバーの一人が、「小さな鮎だから、腸も含めて全部食べられる」といった。私も気兼ねなく頭から食べた。
2025-07-16 up
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