2025年5月 課題:ファッション
 ファッションはメッセージ

 清少納言の『枕草子』116段に、場違いな服装をした平安貴族の話が出ている。

 取り上げられたのは藤原宣孝。

 吉野の金峯山に詣でるときには、身分の高い人でも慎ましい服装で参詣するものだが、宣孝は「綺麗な着物を着て詣でてどんな不都合があろうか、みすぼらしい服装で参詣せよと仏は言うまい」といって、紫のとても濃い指貫、白い狩衣、山吹色のひどく派手なものを着て参詣した。同時に息子の隆光も同じように派手な服装だった。他の参詣者はその姿を見て驚きあきれたという。

 宣孝は後に紫式部の夫となる。大河ドラマ『光る君へ』では宣孝は明朗闊達で、型にはまらない人物として描かれていたが、こんなエピソードを背景にしているのだろう。場違いな服装での参詣も宣孝の言うように仏は気にしなかったのか、参詣のすぐ後で宣孝は筑前の国司のポストを得た。国司の中でも上クラスのポストで実入りもよく、大河ドラマでは宣孝が珍しい中国渡来の品など筑前土産をもって、紫式部の父藤原為時の家を訪れるシーンが放映された。この参詣の8年後の998年に紫式部と結婚している。この時点で宣孝はすでに三人の女性との結婚歴があり息子の隆光は式部と余り年齢が違わなかった。

 余談だが、紫式部は『紫式部日記』で清少納言を「利口ぶって漢字を書き散らしているが、たいした学識ではない……そんな人のなれの果てがどうしていいものであろう」と散々けなしている。それは、上述の記述への仕返しではないかという説もあると言う。『枕草子』が書かれた頃には宣孝と式部は結婚していたが、私の感じでは清少納言は宣孝が紫式部の夫であることを意識して書いたようには思えない。また、『源氏物語』は『枕草子』が書かれたときにはまだなかったから、物書きとして清少納言が紫式部をライバル視していたとも思われない。しかし、紫式部にしてみればカチンときたのだろう。

 宣孝の金峯山詣でから1035年経った今年、同じようにそのファッションが問題視された人物がいる。トランプ大統領だ。

 フランシスコ前教皇の葬儀にブルーのスーツにブルーのネクタイで参列したのだ。意外だった。保守的思想に固まったトランプだからきちっと決められた正装で来ると思った。なぜあえてドレスコードを破ったのか考えてみた。フランシスコ教皇のリベラルな言動を否定したかったのだ。難民や移民、貧しい人々へのへ思いやり、地球環境への配慮など、教皇が訴えたことはことごとくトランプの政策と反する。

 「アエラ」のデジタル版の5月18日に、コラムニストの古寺雄大がこの問題を取り上げていた。

 まず「ニューヨーク・タイムズ」のあの服装は「トランプ大統領の“誰のルールにも従わない”という彼のメッセージを明確に伝えるものだった」という記事を紹介する。その後で、トランプ大統領が一貫して言い続けていることは『メイク・アメリカ・グレート・アゲイン』。英国やフランス、スペインなどの服飾文化により培われたドレスコードを、あえて無視したのは『アメリカは普通の国ではない。特別なのだ』と『服でサイン』を送ったものとみている。かなり深読みだがうなずける。


 宣孝やトランプほどではないにしても、私たち普通の人間もその服装に何らかの思いを込めているのだと、あらためて気付かされた。
   
 2025-05-27 up


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