2025年4月 課題:転勤 主治医M先生 2018年12月、地元の旭中央病院で私のがんの治療方針の説明を受けた。 ステージ3の直腸がんで、手術により腫瘍の除去するが部位が肛門に近いので、術後は人工肛門を付けるというものだった。人工肛門はやりたくないので、他の病院のセカンドオピニオンを聞きたいと言ったら、快く昭和大学横浜北部病院宛に紹介状を書いてくれた。 翌日すぐに昭和医大横浜北部病院へ行った。受付でセカンドオピニオンではなく、診療にするように勧められ、その場で旭中央病院の許可を取ってくれた。 北部病院の担当外科医はまだ40歳前の女医のMさん。手術の前に放射線と抗がん剤の併用で、腫瘍を小さくし、手術の範囲を狭めてできる限り直腸を残し、人工肛門を避けるというものだった。翌年の1月から25クールの放射線と抗がん剤の結果は驚くほど効果があって、内視鏡ではくるみ大の腫瘍が消えていた。M先生もビックリし、喜んだが、腸壁内に腫瘍が隠れていることがPET検査でわかり6月に手術をした。腹腔鏡による手術だったので手術跡もわからないほどだった。 退院の日、M先生から近々旭中央病院へ勤務先が替わると告げられた。そして「旭中央は近いからなにかあったら来なさい」と言ったあと、「そんなことがない方がいいね」と付け加える。 手術後、縫合部分が完全に融合するまで、4ヶ月間小腸に人工肛門を付けて、大腸へ物が行くのを止めた。10月にその人工肛門を除去し、小腸と大腸を繋げた。以後4ヶ月ごとに検診を受け再発、転位を監視したが、異常はなかった。 2022年1月末、朝起きると強い腹痛。救急搬送で旭中央病院へ。腸閉塞と診断され、すぐに胃まで管を通し内容物の排出を始める。担当医は女医のT先生。こちらの先生も若い。翌日は日曜日だったが、同じ部署のM先生がやって来た。3年半ぶりの再会だ。今度は主治医ではないので、M先生は特に何も言わなかったが、文字通り私のお腹の中まで覗いている先生がいることは心強かった。 小腸の手術をすると腸閉塞になりやすい。私の場合もそれに相当する。癒着部がほぐれるのを待つことにする。口から入れた排出管を小腸の奥の方までのばし、内容物を吸引する。その間、食事はおろか水も飲めない。二週間吸引を続けたが、腸の癒着は解消しなかった。その間、時々M先生は私のベッドまで来て、「早くよくなれ」といって私のお腹を揺すったりしてくれた。お腹を動かすことは癒着の解消に効果があるのだ。 結局手術で癒着部を切り取ることになった。コロナ禍が猛威を振るっていた頃で病棟の私と同じフロアで患者が発生したため、新規入院は途絶え、入院患者も手術を控えた私以外は退院させられ、最後は6人部屋に私1人となった。 退院後、私は「病床五句」と題して『天為』に載った句をT先生とM先生への感謝の手紙に添えた。 面会のならぬ入院冴返る 点滴の落つるを見上ぐ日の永し 点滴に命預けし二月尽 手術終へ此岸に目覚むけふ雨水 転失気のありて快癒の春の朝 2025-04-16 up |
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