2024年4月 課題:クラス会 高校の同期会 昨年秋、高校の同期会にTさんが出て来た。Tさんとは高校3年間を通して同じクラスだった。彼と会うのは30数年ぶりだった。 高校は都心の公立の進学校で、一学年は男子300人、女子100人で、8クラスに分かれる。卒業は昭和32年(1957年)。クラス会は若い頃からやっていたが、同期会をやり出したのは、50歳過ぎた頃だろう。同期会の後、二次会としてクラス会をやることなった。卒業50年記念の同期会(1997年)は130名という大勢が参加した。しかしTさんの顔はなかった。 この会の時、同期会皆勤者の10人が紹介されたが、私はその1人だった。勉学でも生徒会活動でも全く目立たない存在で友達も少なかった私は、同期会に行っても半数以上が知らない人だった。私に話しかけてくる人もほとんどおらず、こちらから話しかけて、やっと会話を成立させるというような状態だった。そんな私が、皆勤していたとは意外だった。案内状が来る度に出席の返事を出したのは、欠席では幹事役に申し訳ないという思いと、同期生達がどんな活躍をしているかを知りたいという好奇心からだろう。 私よりもずっと活動的で社交的なTさんは、友達も多いのに出てこないのが不思議だった。あえて理由を考えれば、Tさんが文系の人間であることかもしれない。というのは、高校の同期会に出てくる3年時のクラスメートは、男性に限ると圧倒的に理系に進んだ。50年記念の会に出席した同じクラスの男子の12名のうち文系は1人のみ。それも東京芸大に行き、作曲家となったGさん。後の11人は理系に進学し、エンジニア、大学の教授、医師などになった。文系のビジネスマンがいない。当時、高度成長が始まり、理系人間が必要とされ、理系に進学した人が多かった。その2年前に行われた会でも、出席男子11人がすべて理系だったから、理系の多いことが理由ではない。 私なりに考えた理由は、文系の人は人を相手に仕事をするので、人間に対する見方が厳しい。私の経験でも、事務屋さんは、人の好き嫌いが激しい。嫌いな人のやることには、それが正しいとしても、邪魔をする。好きなもの同士で派閥を組む。だから同期会でもあいつと顔を合わせたくないと思う人物がいて、それで来ないのではないか。一方理系の人間は、人間関係の煩わしさがもともと嫌いで、人よりも物を相手に仕事をすることを選んだ。そのことがかえって、同期会などの集まりに気軽に出られる原因ではなかろうか。 コロナ禍のため5年ぶり開催となった昨年の同期会は50名ほどの出席。閉会後クラスメート5人で二次会。ここでもTさんだけが文系人間。同期会ももう最後になるかもしれないと思ってTさんも出て来たのだろう。若い頃の写真を何枚か持ってきて、皆に披露し、楽しそうに当時の思い出を語った。 後日Tさんからメールが来た。私とはよく相撲を取ったと当時の思い出を書いてきた。私も、彼の家の庭で相撲を取って負けた思い出を返信し、そうした良い思い出は生きる支えとなると書いた。 |
エッセイ目次へ |