2024年1月 課題:セーター セーターとカーディガン いつからセーターを着なくなったのかはっきりしない。箪笥の中にでもまだあるだろうか、妻に聞いてみた。 「私のセーターどかにあるかな」 「セーターなんかどこにもないわ。被る時眼鏡が邪魔になるからってずっと前に着なくなったじゃない」 確かに私がセーターを面倒くさいと思った理由はその通りだ。 最近はスマホに代わられてすっかりみなくなったが、以前は通勤電車の中で女性が編み物をしていた。恋人あるいは夫にセーターを編むというのは大きな愛情表現だ。ひょっとすると昔に妻の手編みのセーターを身につけていたかもしれないと思った。そこでわずかな期待をこめて聞いてみた。 「私のセーターを編んでもらったことはある?」 「ない。子どもの物なら編んだことがある」 とはいえ、私にも2枚のセーターの記憶はある。 一つは無地のVネックの物。色は槐がかった鮮やかな赤色だった。20代前半に着た。かなり大胆な色合いだったが、Vネックの上に出たワイシャツの白い衿と赤色との対比が鮮やかだった。当時の私としては最高のお洒落だった。 もう一つは家庭を持った30代に着ていたもの。これは厚手の丸首セーター。ブルーの地に胸の所に白と赤の横縞が走っていた。普段着にしていて、いつも毛玉を付けていた印象がある。太い毛糸で荒い編み方だったから、ひょっとすると妻が編んでくれたものかと思ったのだが、ひと言で否定されてしまった。 ここまで書いて、まだ紙面が埋まらない。困った時のウイキペディア、早速引いてみた。セーターとは「編み物による衣類で、トップス(上半身に着る衣装)にあたるものの総称」とあった。日本ではセーターといえば被る物だけを指すようだが、本来はカーディガンもセーターの中に含まれる。 カーディガンという言葉を知ったのは中学生の頃だった。たまたま見た雑誌だったと思うが、「カーディガン」と題の付いた絵があった。カーディガンを羽織っただけで椅子に腰掛けた裸の女性のスケッチで、まともに見るのが恥ずかしかった。「カーディガン」が何ものであるか知らなかったから、題の意味が全く分からなかった。何だかいやらしい物に思えた。ずっと後になりカーディガンが毛糸の上着のことと知ってあの絵の題も理解できた。 晩秋から春先にかけて、家ではカーディガンで過ごしている。 カーディガンにした理由は上述の他に、前開きだから圧迫感がないことだ。前のボタンはいつも閉めない。少し奮発してカシミアのカーディガンにしている。軽くてまことに着心地が良い。定年後は毎日家にいて、パソコンに向かっていることが多い。そのためか、肘の部分が擦り切れてしまう。それも左右同じように擦り切れる。捨てるのはもったいないので、妻がどこかから毛糸の端切れを持ってきて肘宛を付けてくれる。
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