2023年5月  課題:黙秘

自白調書

 裁判で出される検察側の調書に対して、被告側は全面否定することが多い。これは裁判を有利に進めるための保身であって、本当は調書に書かれたことが正しいのだと思っていた。
 
 ところが、2010年に調書の信頼が大きく揺らいだ事件が二つあった。一つは少女への暴行致死罪で無期懲役で服役した男性が、DNA 鑑定の結果、無実が判明したこと。この男性は一旦は自白して罪を認めていた。もう一つは特定の団体に違法な郵便料金の割引の適用を認めたとして、厚生労働省の女性局長が起訴された事件。この人は全面的に否定を通していた。しかし、部下の自白により関与したとして、起訴されたのだ。裁判の過程で、部下達は自白調書を次々と否定し、裁判所もそれらの調書を証拠として採用しなかった。そして、局長は無罪となった。

 やっていないものをやったと自白することなどあり得ないと私は思ってきた。だから、自白調書というのは極めて信頼性の高いものだと思っていた。
 
 なぜ、人はやってもいないことをやったと自白するのだろうか。

 この事件のずっと以前に、かつての職場の大先輩(仮にCさんとする)から贈られた回想録に、ある裁判のことが書かれていたのを思い出し、読み返してみた。そこには拘留取り調べのつらさと、意に染まぬ調書が取られていく心理状態が書かれていた。Cさんは社会的地位も高く、人柄も温厚で何よりも典型的な旧制高校仕込みの教養豊かな人であった。

 Cさんはある大きな地方組織の責任者であった。問われたのは組織ぐるみの選挙違反で、事前運動、地位利用そして買収。Cさんの拘留は五〇日に及んだ。

 それはかつて経験したことのない屈辱と絶望の日々であった。拘留が10日も続けば、ただ一途に早く出たいと思うだけになる。検事も「自白がなければ、いつまで経っても出してやるわけにはいかない」という。そうするうちに検事のいう通りだという気になり、むしろ検事だけが頼みの綱に思えてくる、とCさんは書いている。

 すでに多くの部下が逮捕されていた。嘘は言えないと主張するCさんに対し、検事は、そんなことでいつまでもぐずぐずしていると、部下を出してやれない、皆君の責任で苦しんでいるのはないかと迫ってくる。

 組織ぐるみの買収行為があったかどうかが裁判の最大の争点であった。逮捕された部下の多くは苦し紛れに買収を認める供述をした。Cさんは頑なに否定したが、「仮にそうだとすれば○○でしょう」と仮定のこととして述べたことろ、仮定の部分と推量の部分を省かれ、○○の部分が事実であるとする調書が出来てしまった。そのうち、老齢の君の部下が体調を崩した、すぐに出してやりたいが、君の調書がないので出してやれないと言われた。そんなこともあって、意に染まない調書であったが捺印した。

 3年に及ぶ裁判で、買収に関しては無罪とされた。

 最近では、取り調べの可視化としてビデオ撮影が行われ、記録として残るようになった。供述の真偽の検証や検察官による威圧的な尋問の有無の判定には効果はあるだろう。しかし、長期拘留は依然として続いている。長期拘留の苦しみによる、意に染まぬ供述を防ぐことは出来そうにない


   2023-05-24 up


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