2023年2月  課題:梅

梅梅梅の梅の中
 

 2005年2月20日(日)、前年の11月から始めた旧東海道歩きの5日目、国府津から箱根湯本までを行くことにした。妻の他、エッセイ教室の女性2人も誘ったから、街道歩きの中では最大の人数となった。

 私以外は行ったことがないと言うので、梅の名所、曽我梅林に寄ることにした。国府津から一駅、御殿場線下曽我で降りた頃には、東に連なる丘陵から霧が切れて立ち上っていく。幸い天候は保ちそうだ。

 まず曾我兄弟の墓がある城前寺に行く。お参りして、本堂の裏側の曾我兄弟の墓を見る。小高くなった奧に五輪塔が二つ並んでいる。右側には両親のものが二つ並んでいる。柵があるので近づくことは出来ない。寺は丘陵の中程にあるので西側の小田原方面の眺めがいい。

 寺を出て曽我梅林の中心、原梅林と別所梅林に向かう。梅の林が次々に現れてくる。八分咲きくらいか。ほとんどが白梅だが、紅梅、枝垂れもあり、けぶるように咲いる。ほのかに梅の香が漂う。雨上がりで、幹や枝が黒々としているのがいい。

 原梅林では地元のおばさん、おじさんが机を出して、梅干しや梅茶、その他の食べ物を売っている。おじさんが「初恋の味だ」といって差し出したふきのみそ漬けを試食。ほろ苦い蕗の味が口に広がる。初恋がこれほど苦いとは思わないが、ビールのあてに一袋購入。

 別所梅林には車でやってくる人々の駐車場案内のためにおじさん達が至る所に立って誘導している。ここは案内人がいないと迷子になりそうだ。やがて別所梅林の中心に出る。梅祭の最中で、梅干し、梅ワイン、みかん、たくわんなど地元の特産品を売る屋台、焼きそばやお好み焼きなどの屋台が建ち並ぶ。以前来た時も同じ光景だったが、西に大きく見えた富士が今回は雲の中だった。

 1時間に1本しかない御殿場線に乗るために大急ぎで駅に向かう。3万5千本もあるという梅林。桜と違い樹高も低く並木にもなっていないので、どちらを見ても梅梅梅。どちらに行ってよいか分からなかった。案内人に聞いたりしてようやく下曽我駅に着いた時は列車の到着2分ほど前であった。

 国府津からは国道1号線を小田原に向かう。途中左手海岸に面してJTの海水研究所がある。かつてこのあたりは塩の産地で、この研究所は製塩技術の研究を行っている。JTに勤めていた私は何回も来たことがある懐かしい所だ。

曽我の梅林は戦国大名の北条氏が植えたのが始まりだという。江戸時代になり、ここでとれる塩を用いて梅干しを作るために、梅林が広がった。特に箱根を越える旅人のために、保存の良い梅干しが重用され、梅干しは小田原宿の名物となった。『東海道中膝栗毛』にもそのことが記載されている。小田原の梅干し生産のピークは昭和17年、戦時の需要に応えたものだ。

桜と違い実用を目的とした梅林のこうした由来は面白い。

 私は未だ俳句をやり始める前だったので気がつかなかったが、城前寺には高浜虚子の句碑もあることを知った。昭和12年(1937年)2月、虚子は武蔵野探勝会の吟行で曽我梅林へ。そこで梅の句を4句詠んだ。昭和50年に建立された句碑に刻まれたのは、その中の一句

 宗我神社曽我村役場梅の中    虚子


2023-02-23 up


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