2022年7月  課題:Tシャツ


 ゼレンスキーのTシャツとプーチンのスーツ  

 今世界を揺るがす二人の指導者の服装が対照的だ。ウクライナのゼレンスキー大統領のTシャツと、ロシアのプーチン大統領のスーツ。二人の姿は毎日のようにメディアに現れる。カーキ色の無地のTシャツ姿の前者とダークスーツにネクタイの後者。

 Tシャツの起源はアメリカ軍の肌着。肌着で外出など恥ずかしいこととされていたが、1960年代後半あたりから自由を重んじるアメリカの若者が、大人たちが押しつける既成概念を打破して着用するようになった。だからTシャツのゼレンスキーは自由なウクライナ、堅苦しいスーツのプーチンは専制主義のロシアという印象を与え、欧米諸国でのゼレンスキー人気の一因になっているのではないか。元々が俳優の出であるゼレンスキーは、演技としてTシャツのもたらす効果を利用しているに違いない。さらに、ゼレンスキーはロシアとの戦いを民主主義対専制主義の戦いとして世界に訴えている。

 日本でもそうした見方が多い。だが、私は疑問に思う。ロシアは決してプーチンによる独裁国家ではない。そこには一般選挙により選ばれた大統領があり、議会がある。議会で決定された法律により国家が運営されている。

 ウクライナ侵攻が始まってしばらくした時、ロシアの国営テレビのニュース番組に、「No War」のポスターを持って飛び入りした女性がいて、世界を驚かした。そのこと自体が、ロシアで表現報道の自由が完全にはおさえられてはいないことを示した。女性は拘束され、裁判で罰金刑を言い渡されたが、収監されることなく、5月の時点ではドイツで新聞記者をしているという。

 1991年にソ連が崩壊した後のロシアには制度としての民主主義は整っているのだ。だから、この戦争を民主主義対専政主義・独裁主義と割り切ることにはどうしても引っかかる。また、そうした割り切り方は、侵略するのは常に専制国家で、それに対抗するのは民主主義国家だというイメージを与えかねない。それが事実でないことは、米英のイラク攻略を見れば明らかだ。

 もちろん、国連憲章を無視し、民間人攻撃という国際法違反のロシアをウクライナが押し返すことを強く望む。ゼレンスキーの言うように国境の向こうまは無理としても、侵攻が始まる前の状態までは押し戻して欲しい。

 日本の多くの人がそう思っている。気をつけなければならないのは、そうした気持ちが強いから、ウクライナびいきの報道が多いことだ。ウクライナ軍の戦果とロシア軍の無法ぶりを示す民間人の犠牲が大きく報じられる一方で、ウクライナ軍の犠牲が余り伝わってこない。軍の機密なのだろうが大きな犠牲を払っているに違いない。また、プーチンに対する希望的観測もよく見る。欧米から流れた重病説、あるいはロシア政治についての日本の権威とされる大学教授の6月一杯にはプーチンはその座を追われると言った自信に満ちた断言。そんなものは無視するかのように、プーチンは外国訪問までこなしている。

 最近の報道では長期戦になりそうだ。長期戦になればウクライナが持ちこたえることは難しい。にもかかわらず和平の見通しはまったく立たない。

 イスタンブールの、ボスポラス海峡を見おろすテラスで、Tシャツ姿のゼレンスキーとプーチンが、交渉の席に着くなどということになればいいのだが。柔道などで鍛えたマッチョなプーチンにはTシャツ姿も悪くはないのでは。   
          
 

 補足:
「No War」の女性は、ロシアに帰り、クレムリン付近で戦争批判とプーチン批判のプラカードを掲げ、再度当局に拘束されたという。(5月18日AFPBB News)

 2022-07-21 up


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