2022年6月 課題:花束 エッセイ教室と花束 私は花束を抱えて桜木町から電車に乗った。夜も遅く、通勤時間帯は過ぎていて、座席に座ることは出来たが、胸に抱えた花束で顔が隠れてしまうほど大きなものだった。こんな経験は初めてだった。立派な花束を抱えているいい年の男性を、乗客は何の祝いだろう、送別会の後だろうかなどといろいろ詮索しているに違いないと思うと、気恥ずかしかった。それに百合の匂いが漂い、乗客に迷惑ではないかと横浜線の十日市場駅で降りるまで落ち着かなかった。 青山のNHK文化センターでの下重暁子のエッセイ教室に通い始めて、8年目の2002年、前の年にはサラリーマンを定年退職していたこともあり、今までのエッセイをまとめて出版社に持ち込んでみた。本格出版と自費出版のあいだの協力出版(初版の制作費は著者負担で、広告販売は出版社持ち)という形で85編のエッセイを収めた『冬至の太陽』を上梓することが出来た。 三百部を友人、知人に配った。特に同世代の人たちからは、それぞれの人生と重ね合わせて読んでいただき、共感を得られた。 中学の同期生、男女2人ずつの4人で桜木町のホテルで出版祝いをしてくれた。『冬至の太陽』には昭和20年8月15日のこと、かつて田町駅の横にあった入り江で遊んだこと、亡くなった同期生のことや先生のことなども載っていたので、戦後、三田で過ごした小学校時代から中学時代の昔話で盛りあがった。集団疎開先でひもじい思いをしたとか、履き物がなくてはだしで小学校に通ったとか、中学校の先生の奥さんが美人だったとか・・・。そして、上述の花束をもらった。 妻の麻雀友達からも花束をもらった。「宝夢蘭」という紫色のデンドロビウム。宝をもたらし、夢が叶う「ホームラン」というめでたい名前だが、花の品種に付けられた名前のようだ。大きな花だったが、私の家で雀卓を囲んだ際に、持ってきてくれたものだ。さらに、エッセイ教室のHさんからチューリプをもらった。フラワーコーディネーターでもあるHさんの花束はこじんまりとしていて、匂いもしないから、今度は電車に乗っても気にならなかった。 同じく、エッセイ教室のSさんからは原色ドライフラワーというのをもらった。大きなガラスの容器に深紅の薔薇と姫うつぎの白く可憐な花が閉じ込められていた。造花かと思ったが、生花をシリカゲルで乾燥したものだという。しかも、Sさんの手作りだ。この花は20年後の今も色褪せることなく我が家の玄関を飾っている。 こうしてみると花束で思い出すのはエッセイ教室に関係したもの。上の例では、花束はすべて女性の考えだ。エッセイ教室の受講生は圧倒的に女性が多い。そして、毎年の忘年会、新年会、あるいはちょっとしたイベントには、必ず下重先生に花束を贈る。サラリーマン時代は、転勤や退職のシーズンになると、数日送別会が続くこともあったが、花束の贈呈が行われた記憶あるいは印象が残っていない。自分の転勤や退職に際しても記憶がない。多分、送別会を仕切っていたのがほとんどの場合男性だったからだろう。 花束贈呈の習慣は元々はヨーロッパから入ってきたもの。日本では女性がそれを受け継ぎ、文化の一ジャンルとなった。エッセイ教室のおかげで、私もその一端に触れることが出来た。 Sさんから頂いたドライフラワー 2022-06-22撮影 2022-06-22up |
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