2022年5月 課題:好日 和田峠越え 佐久側の和田宿と諏訪側の下諏訪宿を結ぶ和田峠は、標高1531メートル。旧中山道最大の難所とされる。文久元年(1861年)、皇女和宮はこの峠を越えて江戸に向かい、将軍家茂に嫁した。2009年の秋、中山道歩きの私は和宮とは逆に和田宿から下諏訪へこの峠を越えた。 前回は和田の一つ手前の長久保まで歩き終えてある。一日で横浜の自宅から長久保まで行き、そこから峠を越えるのは時間的に不可能だ。それで、前日長久保から、和田、そしてその先の和田峠への登り口までのコースを歩いておいた。長久保、あるいは和田に泊まれば良いのだが、あいにく泊まるところが見つからず、上田の駅前のホテルに泊まった。 上田からバスを乗り継ぎ1時間半で長久保。長久保からはコミュニティバス。乗客は私一人だったが、途中で二人乗り込み、和田で降りたので、最後はまた私一人になる。話し好きの運転手で、峠を越えて下諏訪まで行く私に、内緒でと言って停留所ではない峠への入り口でバスを止めてくれた。 峠への道は遊歩道としてよく整備されていて、歩きやすく、気持ちがいい道だった。山腹を美ヶ原方面に向かう自動車道が通っていて、それを何回か横切って遊歩道は上ってゆく。天候も青空が広がってきた。紅葉が見頃だ。しばらく行くと自動車道の脇に水場があり、男性が一人ペットボトルに水を詰めている。車で来て何本ものペットボトルに詰めて帰るところだった。この水はうまいから是非飲んで行けと勧める。さわやかな天然水だ。 峠はクマザサを切り開いた草原のような明るいところだった。和田側の眺望は落葉松に遮られていたが、西側の眺望は正面に中央アルプスが連なり、その右奥に御嶽山の巨大な稜線、さらに右手奥に白くかすむのが多分乗鞍岳。ここは分水嶺だ。例によって分水嶺をまたいだ左右の足の写真を撮る。左足に落ちた水は太平洋、右足に落ちた水は日本海へと流れる。ここは日本でももっとも海から遠い地点ではないかと思った。あるいは日本のど真ん中あたりになるのではないか。 45分ほど峠を満喫した。様々に形を変える頭上の雲が美しい。 諏訪側への道は整備されていない山道だった。こんな道を通った和宮一行はさぞ大変だったろうと思いつつ、45分ほど下ると、国道142号に出る。歩く人など皆無の大型トラックが行き来する国道を歩く。やがて諏訪大社の御柱祭の最大の見せ場、木落坂を過ぎ、落合集落に入る。集落でおばさんから「今日はお泊まりですか」と声をかけられた。水くみの男性に会って以来、4時間半ぶりに出会った人だ。 |
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