2022年4月  課題:湖


レマン湖とジュネーブ

 コルナヴァン駅からゆっくりとレマン湖に下りてゆく道はモンブラン通りだ。天気に良い日にはレマン湖越しにアルプスの最高峰、モンブランが見える。やがてモンブラン橋に出る。橋の上からはレマン湖を背景にジェットと称する大噴水が天を突いているのを目にする。高さ140メートルにもなる世界一の大噴水だ。そのときの風向きにより、あるいは見る角度により噴水はヨットの帆のような形に見える。ジュネーブ最大の見所だ。橋の下を、レマン湖の澄んだ水はローヌ河となって、フランス第二の都市リヨンを経て地中海に注ぐ。

 三日月型のレマン湖は中欧で二番目に大きな湖。中央をフランスとスイスの国境が走っていて、南側がフランス、北側がスイスである。ジュネーブは湖の西南端にあり、周りをフランスに囲まれて、人口20万ほどの小さな都市である。紀元前58年、ユリウス・カエサルはガリア、今のフランスの部族の反乱を鎮圧するためにジュネーブでローヌ河を渡った。カエサルの『ガリア戦記』では、この地は「ゲナウァ」と記載され、ジュネーブという名はそれに由来する。レマン湖という名も『ガリア戦記』に「レマンヌス湖」と書かれたことに由来する。

 私は、1978年の秋から冬にかけて、ジュネーブに単身滞在し、当地の香料会社で、たばこのにおい付けの研修を受けた。ジュネーブの特徴を一言で言えば、国際都市である。町を歩いていて、現地語のフランス語で道を聞かれたことが、何度かある。一見して地元の人ではないと分かる人に、「何々広場はどこですか」と日本語で聞くことなど日本では考えられない。ジュネーブではいろいろな国の人が入り交じっているから、どこの国の人かなどと言う意識は持たないのだろう。問いには答えられなかったが、道を聞かれること自体はむしろうれしいことだった。

 今は国連欧州本部となった、かつての国際連盟を初め、赤十字国際委員会、世界保健機関(WHO)、世界貿易機関(WTO)などの国際機関が置かれている。スイスが永世中立国で、政情が安定していることがその理由だろう。これら国際機関は、ジュネーブのローヌ河右岸、つまりレマン湖の北岸にある。レマン湖の北岸は、ジュネーブからローザンヌ、モントルーといった都市が連なり、世界的なリゾート地となっている。ゆるやかにレマン湖に下る南向きの斜面には、チャップリン、チャーチルなど、世界的な名士の居宅が当時からあった。

 私が滞在したアパートはローヌ河左岸の旧市街にあった。小さな町で、しかも治安も良いので、夜コルナバン駅から、アパートまで30分余り歩いて帰ったこともある。空港へも近く、アパートの真ん前からトロリーバスに乗り、一度乗り換えて、30分もしないでジュネーブ国際空港に着く。しかも、バス料金は当時1フラン、日本円で約110円で、1時間乗り放題だった。

 ジュネーブはヨーロッパのほぼ中央にあり、どこの国に行くのも便利だった。5ヶ月の滞在中、かなりの国を訪問した。滞在期間の終わり頃には、ジュネーブはすっかり「我が町」になり、訪問先からの帰途、飛行機がジュネーブ空港に着き、バスに乗り込むと、旅の緊張感から解き放されたものだった。
 

   2022-04-20 up


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