2022年3月  課題:スニーカー

どこへ行くにもスニーカー

「昭和八年指定史跡名勝天然記念物」と立派な石碑が建つ、杉並木を歩いている頃だった。右足で、靴とジーパンの裾が擦れるような音がしていた。ジーパンをたくし上げて歩いたが、それでも歩くたびに、「ズッ」という音が止まなかった。靴を脱いで見たら、踵のゴム底がすり切れ、中から青いクッションがのぞいていた。クッションには空気が入っていてそれを青いシートで封じ込めていたのだが、そのシートも破れていた。歩くたびにそこから空気が漏れる音がしていたのだ。

 もう10年以上前、中山道歩きの6日目、高崎の先、群馬八幡から横川に向かっている時のことだった。杉並木は安中の中心街から少し西に行ったところにあり、その日の行程のほぼ半分ほどで、松井田宿を経て横川まではまだ3時間以上かかる見通しだった。歩くたびに「ズッ」と音がするのは気になったが、歩けないわけではなかった。

 夕方横川に着いて、左の靴も点検した。やはりかかとの部分がすり切れていたが、青色のクッションは幸い破れてはいなかった。何であれ、一つのものを使い切ることは気持ちが良いが、靴を履きつぶしたことは、それだけよく歩いた証だから、快感も一入だった。

 どのくらい履いたのだろうかざっと計算してみた。履きつぶしたのは2足目のウオーキングシューズで、東海道を半分の袋井まで、甲州街道は下諏訪まで、そして中山道が横川までいずれも日本橋から。さらに海外旅行も数回このシューズで行っているから、500キロは歩いているだろう。500キロといえば東海道の日本橋-京都間だ。丈夫な靴が壊れるほどだから、昔の人は東海道を上るのにどのくらいの草鞋を履きつぶしたのだろうか。10足か、あるいはそれ以上ではないか。

 中山道と東海道の残りは新しいウオーキングシューズで歩いた。中山道の碓氷峠、和田峠、鳥居峠、東海道の鈴鹿峠などの山道は底のしっかりした踝まで入るトレッキングシューズを履いた。

 ここでいうウオーキングシューズは上は柔らかい革製、底がゴムで中のクッションが衝撃を吸収するようになっている靴。スニーカーとは布製で別のものだと思っていたが、辞書を引いてみると、上が革製でも、下がゴムの靴はスニーカーという。つまり、ウオーキングシューズもスニーカーだったのだ。

 数年前に革製と布製のスニーカーを同時に購入した。以来、どこに行くのもスニーカーになってしまった。地面を踏んだ時、足全体が持ち上がるような反発力が心地よいと同時に、あのカジュアル感がたまらない。もっと言えば、スニーカーを履くことでまだ自分が若いという気持ちになれるからだ。気ままな老後にスニーカーはぴったりだ。もとの職場のOB会、あるいは句会やエッセイ教室の新年会など、ちょっと改まった席へは革製のスニーカーで行く。一見したところ、普通の革製の靴と変わらない。それ以外は布製のスニーカーだ。

 一日二万歩歩くことを目標にされていた『天為』主宰の有馬朗人先生もスニーカーを愛用されていた。何回か句会の吟行に来ていただいたが、真夏でもスーツにネクタイを崩されなかった。しかし、足もとはいつもスニーカーだった。


   2022-04-22 up

   

エッセイ目次へ