2021年11月  課題:コンクール


句会というコンクール


 
俳句をやり始めてから、12年目に入った。参加する句会も徐々に増えていって、今では毎月7つの句会投句をこなしている。入会順に「アフィニス句会」5句、「オリーブの会」6句、結社の雑誌『天為』5句、「天為東京例会」3句、「あかつき句会」3句、「さねさし句会」5句、「中国神話に遊ぶ」8句。このうち『天為』への5句は各句会での評判のよかったものを出す。それ以外は投句がダブらないように心がけているが、アフィニス句会は他の句会とメンバーがまったく重ならないので、他の句会に出したものを投句することが多い。それでも少なくとも毎月25句をひねり出さねばならぬ。

 コンクールとしての句会の特徴は、参加者全員が審査員も兼ねること。『天為』誌への投句以外は、すべて、全員による互選が伴う。句会では参加者が句を書いた短冊を提出する。それを、作者は無記名のままランダムに配置した一覧表を作る。それに基づいて、各人が選句して読み上げる。これを披講という。自句が読み上げられたら、作者が名乗る。選句数は出句数と同じか、それより少し多い数にする。これが一般的な句会のやり方。結社の句会では互選の他に主宰の選がある。私の場合は天為東京例会と中国神話に遊ぶ句会がそれに相当する。主宰の選に入るのは全投句数の30%前後で、うち5%ほどが特選であとは並選となる。主宰の選は『天為』に掲載される。

 コンクールとしての句会のもう一つの特徴は選が分散すること。いくつかの特定の句に選が集中することはあまりない。さらに主宰の選句と互選とが必ずしも一致しない。互選で何点も入った句が、主宰選では選ばれないこともよくある。多くの句会において投句された句の半分には少なくとも1票の選は入る。これらはみな、俳句が17音という極端な短詩であり、読み手によってその受け取り方に大きな幅があり、万人がこれだと思う作品など滅多に出てこないことによるのだろう。このことは新聞の俳句欄を見ればさらに明らかだ。名のある4人の俳人の選んだ40句のなかでダブっている句はまずない。短歌だと1首や2首がダブっている。五七五と五七五七七の差であろう。

 主宰の句でも点が入らないことがある。そのことは「コンクール」が公平に、忖度なしに行われていることの証拠である。主宰でも点が入らないし、俳句の評価はかなりばらつく、と考えれば、私の句が句会で評価されなくてもそんなに気にすることはないと心の底では思っている。とはいえ、句会で高い点を取るとうれしいし、点が入らないときは落ちこむ。競い合い、高点を目指し、点が入らないなら謙虚に反省し、他者の句を鑑賞することは俳句の上達に極めて有効である。そして何より、皆が集まって批評し合い、終わったあとで一杯やりながら、俳句論議を交わすことは、今の私には最大の楽しみだ。コロナ禍で、対面句会の代わりにメールあるいは郵送による句会がしばらく続いたが、秋からはまた対面句会が始まった。

 今月はもう一つ、NHK俳句全国大会の締め切りがある。こちらは著名俳人をそろえた選者による、本格的なコンクール。投句数は4万を超える。

 千句に一句ほどの特選を目指して11回目のチャレンジだ。
  

 2021-11-20 up

   

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