2020年7月  課題:「失う」
 母を失う
 
 
失う:①そこにあってほしいものを、どこかにやってしまう。新明解国語辞典にはこうある。そして失うものの例として
「地位・自信・面目・逃げ場・理性・戦意・力」が挙げられている。
80歳を越えた私にこれらの例の中に何か当てはまるものがあるだろうか。

 地位:職場における地位は上がることはあっても、失ったと感じたことはない。社会的地位も失うほどのものとは無縁だ。
 自信:何事にも最初から自信満々でぶつかったことはない。だから、大きく失ったということもない。
 面目:ちょっとした面目は失ったことがあるだろうが、気にはならない。
 逃げ場:いつも逃げ場はあったと思う。逃げ場を失った方が物事に真剣に向かうから、これは失った方がいい場合もある。
 理性:これは自信を持って失ったことはないと言える。もっとも、そのため私は冷たい人間とみられているようだ。
 戦意:事に当たっての意欲という意味では、失ったという記憶はない。
  力:肉体的な力は加齢とともに失った。しかし、これは当然のことであって、取り立てて失ったというべきものでもない。

 こうしてみると、失うことには無縁、というより喪失感に無縁な人生だったように思われた。

 新明解は「失う」の②として、「深いかかわりのある人が死ぬ」とある。

 母のことに思い到った。母は私が大学に入った昭和32年の12月に亡くなった。42歳であった。娘の頃に患ったリュウマチ熱による心臓弁膜症であった。
霊柩車で母の棺に付き添ったとき、涙があふれて止まらなかった。

 私の生涯で、失ったと思う最大のものは母である。

 亡くなる前日、病室に母を見舞った。ベッドに座った母は蜜柑が食べたいと言った。私は蜜柑を剝き、白い筋を取って、一袋ずつ母に渡した。三つ四つ口に運んだきりだった。二人はほとんど言葉を交わさなかった。翌日の午後、母は亡くなった。私は学校に行っていて、死に目には会えなかった。

 農家に生まれた母にはこれといった趣味も持っていなかった。都会流の洗練された人付き合いなどもまったくなれていなかった。戦中から戦後にかけての10数年は母にとってはつらい時期だったろう。自身の健康もすぐれず、入退院を繰り返していた。社員10数人ほどの町工場に働く父の給料は、大企業の社員の半分にもなっただろうか。後年、高卒で銀行に勤めた妹は、ボーナスの額については、父の前では口にしなかった。父に惨めな思いをさせたくなかったのだ。母は始末に始末を重ねて、家計を切り盛りし、私を大学にやってくれた。母が亡くなったとき、病弱な母のために、洗濯機はあったと思うが、テレビも電気冷蔵庫もなかった。

 妹に次いで、私も就職し、やっと家計も楽になった。母は人生の収穫期を迎えるはことなく逝ってしまった。
 母の死の10年後、私も結婚し家庭を持ち、やがて子供も生まれた。新家庭と子供たちを母に見せたかったというのが、母への私の思いのピークであった。
以後母への思いは徐々にさめていった。

 母の死から31年後に父が亡くなった。80歳まであと3ヶ月だった。
 父の葬儀に涙は出なかった。天寿を全うしたから、失ったという気持ちはなかった。

   2020-07-22 UP


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