2020年3月  課題:「不安」 

 楽天主義

  不安:悪いことがおこりそうできがかりなこと。また、その気持ち。(明鏡国語辞典。大修館書店)

 生涯で抱いた不安の中でも、社会人になる時の不安は大きなものだ。人付き合いがうまくはない私が、職場という組織の中で果たしてうまくやっていけるのか。上役は怖くないか、同僚とは良い関係を作れるのか……。

 私が大学を出て入ったのは当時の日本専売公社。理系出身の私は、本当は大学院に進んで研究者の道を歩みたかったのだが、家にはそんな余裕はなかった。その代わり、専売公社なら、純粋な民間企業とは違って、かなり自由な研究が出来そうだと思って入社した。

 入社すると1ヶ月の集合研修の後、全員が大阪の茨木工場に送られ、11ヶ月間の工場実習だった。予想外の長期の工場実習で、言われたときは戸惑ったが、中卒と高卒の女子社員が数百名という職場に、抵抗もなく入って行けた。上司も仕事熱心で真面目な人たちばかりだった。就職前に思った不安など、まったく感じることなく、楽しい11ヶ月だった。工場実習が終わると、希望した研究所勤務となった。

 たばこの匂い成分の研究というテーマで、夢中になって取り組んだ。基礎研究で、個人の裁量に任されていたから、人間関係に悩むこともなかった。それ以後も新しいたばこの作り方とか、香料の研究とか、キャリアのほとんどを研究所で過ごした。チームを組んでの開発プロジェクトでは、会社のやり方などに不平不満はあっても、それが将来の不安に繋がることはなかった。

 私が就職したのは1961年、黄金の60年代が始まったばかりで、それ以後、石油ショックはあったが、日本は右肩上がりで豊かに成長していった。去年より今年、今年より来年、昨日より今日、今日より明日が豊かになっている。

 私が小学校に上がった1945年を出発点に取ればこのことはもっと明確に実感される。電気洗濯機、テレビ、電気冷蔵庫、車、海外旅行、マイホーム。

 90年代に入ってバブルがはじけ、ようやく日本の繁栄にも影が差した。ちょうどこの頃私は、日本たばこ産業から子会社へ移った。2002年にはそこも退職し、待ち望んだ自由の身となった。その頃から、日本がこれから迎える高齢化社会にどう対処するかが大問題となっていた。後輩には悪いが、私たちは本当に良い時代を生きてきたと思った。そうした中で、私には物事を楽観的に考える習性が身についていた。住宅ローンも払い終えていたし、子たちも独立していた。つつましい生活の中でいつの間にか蓄えも出来ていた。

 年金生活になりそれまでのように豊かになって行くことはなが、日々一本の大瓶ビールと、手元にはつねに一冊の本と、加えて一台のパソコンがあればそれ以上何を望もう。老後に何の不安を抱く必要があろう。わかりもしない将来を思い煩うより、現在を楽しもう。

 3月15日、『天為』の有馬朗人主宰ほか十数名で、川崎市の溝の口駅からバスで15分ほどの東白根森林公園に吟行し、その後ホテルで夕刻まで句会という充実した楽しい1日だった。

 コロナウイルを恐れて閉じこもってばかりはいられない。

 2020-03-19 up


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