2020年2月  課題:「新年会」 

 寄せ書き

  NHK文化センターの下重暁子のエッセイ教室が始まったのは、1994年の10月だったから、今年で26年目に入った。月1回、出された課題に添ってエッセイを書き、教室で下重先生初め受講生からの批評を受ける。定員は25名で、受講希望者はキャンセル待ちの状態だ。開講当初から続けている私は今回の作品が300編目のエッセイとなる。

 1年後の95年からは忘年会が始まった。2007年からは忘年会に代わり新年会になった。当時、日本自転車振興会(現JKA)の会長であった下重先生が暮れは忙しくて時間がとれないためだった。以後、新年会として定着して欠けることなく続いている。

 最初のうち、会場は幹事役が探してきたが、すぐに下重先生が自分で決めてこられるようになったので、幹事としては大助かりだった。東京會舘、たいめいけん、キハチ、あるいは赤坂の料亭「金龍」など、なじみのなかった名のある食事処の料理と雰囲気を味わうことが出来た。

 会には下重先生の連れ合い、大野先生も参加される。大野先生からは毎回、ご自身が旅先で集めた色々な品が福引きで全員にプレゼントされる。家族的で、和やかな雰囲気の3時間の新年会だ。

 私は2018年11月、直腸にがんが見つかった。ステージ3の進行がんで、周辺のリンパにも転移が見られた。検診のため、11月と12月のエッセイ教室は休んだ。暮に下重先生から、新年会の連絡があった。受講生とOB・OGへのメールによる連絡と出欠確認は私の役割で、先生は電話してきたのだ。初めて、病気のことを告げた。

 1月の教室には出られた。そこで一部の受講生に病気のことを告げた。教室の翌日から、1ヶ月余にわたる放射線と抗がん剤投与の治療が始まった。通院だが放射線と薬の副作用で、免疫力が低下しているから、感染症をおそれて外出は控えた。2月初めのエッセイ教室の新年会への出席も断念した。

 新年会の2日後、新年会で私宛に激励の書かれた色紙が届いた。先生の寄せ書きは

新年会金子さん待つ春を待つ  郭公

 郭公は下重先生の俳号だ。

 2月のエッセイ教室の後に、もう1枚色紙が贈られてきた。新年会で書けなかった受講生のものだ。書き手の顔を思い浮かべながら、一つ一つの寄せ書きを読んだ。本棚に立てかけた色紙は今も横から私を見守ってくれている。

 がんのことは、肉親の他にも、エッセイ教室と俳句仲間には知らせた。

 がんを告げられたとき、驚いたが、現代医学を信じて、前向きにがんと向き合おうと決めた。そうした私の気持ちを、2枚の色紙は力強く推してくれた。

 放射線と抗がん剤治療は医師も驚くほど効いて、クルミ大のがんが消失していた。ただ、肉眼では見えない腸壁内部にまだ残っていたので、6月に手術で除いた。大腸を保護するために、いったん小腸に人工肛門をつけて小腸から排泄していたが、それも10月には閉じて、治療はすべて想定通りの効果をあげ、1年間におよぶがん治療は終了した。

 今年の新年会は、広尾のレストランで、イタリアンとワインを楽しむことが出来た。

 2020-02-20 up


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