2020年1月  課題:「鐘」 

 初詣

 正月二日、ゆっくりと雑煮を食べた後、妻と二人で初詣に行くのがもう30年も続く習慣だ。ここ10年ほどは横浜市緑区長津田の国道246号線沿いにある神社と寺に行く。腹ごなしと運動を兼ねて片道40分ほどをかけて歩く。

 まず王子神社。数年前までは行ったらすぐに参拝できたが、最近は石段の下まで参拝者が列を作っている。参拝を終え、破魔矢を買い、恒例の振る舞いの熱いココアを頂く。

 ついで、246号線を歩道橋で渡り、向かいの福泉寺に行く。神社と違い、この寺は色々な御利益を並べている。「ぴんころ祈願ポックリ大師」と赤地に白抜きの幟がなんといっても目立つ。本堂前に弘法大師立像があり、「一心に祈祷すると厄除け、ポックリの功徳を頂けます」とある。欲張った望みだとは思いながらも、毎年手を合わせている。その他にも、いぼとり地蔵、ぼけ封じ観世音菩薩などがあり、さらに最近、七福神像まで作られた。この寺は元々が祈祷寺として江戸時代に建立されたとのことで、その名残が残っているのだろう。それぞれの像の前にはしっかりとお賽銭箱が設置されている。王子神社のような大勢の参拝者はいない。ここでは甘酒の振る舞いを受ける。

 帰路、国道から少し入った所にある大林寺に寄る。堂々たる山門があるお寺だ。入ると左手に鐘楼があり、自由に衝くことが出来る。これが目当ての参拝だ。広い境内だが、参拝客は多くない。参拝後、ここでは樽酒の振る舞いを受ける。樽酒の他に、コーヒー、甘酒、ミカンと振る舞いも豊富だ。樽から掬ってもらった菊正宗を飲んで、鐘楼に向かう。家族連れの後に並び順番を待つ。一人一人が段を上がり、一衝きしておりて来る。

 私の番が来た。石段を上がり、一礼し、撞木の綱を握る。撞木の先が梵鐘に当たらないように、1回、2回と梵鐘に近づけ、大きく弾みをとって3回目に思い切りぶつける。高さ1.6メートル、口径1メートル、重量1.7トンという立派な梵鐘がゴーンと大きく響く。撞木を元の位置にとどめて、余韻に浸りながら、一礼して鐘楼を降りる。

 時計がなかった時代、お寺の鐘は人々に時を知らせるものであった。近代になって、機械時計が普及し、その必要は無くなった。すべての寺で自由に衝けるわけではないが、大林寺のように自由に衝かせてくれるお寺の鐘は何のためにあるのだろうか。

 私の場合は、思い切り鳴らすことの爽快感で鳴らす。何か宗教的な意味があるのかとネットで調べてみた。鐘を鳴らして仏様に来たことを知らせるためだとあった。仏様には亡くなった人たちも含まれる。だから、参拝する前に鐘を鳴らすことが必要だと。

 そういえば、王子神社にも、福泉寺にも賽銭箱の前に上から綱が垂れていてそれを揺すって王子神社では鈴を、福泉寺では銅鑼を鳴らすようになっていた。いずれの場合にも、手を合わせる前に打ち鳴らした。一方、大林寺には鈴も、銅鑼もなかった。梵鐘があるからそれを打てというのだろう。神様も仏様も鳴り物が好きなようだ。

 来年の初詣からは、大林寺では参拝の前に鐘を打つことにしよう。

 2020-01-23up


エッセイ目次へ