2019年10月  課題:「停電」 

 私の3・1

 いつものようにFMラジオを聞きながらパソコンに向かっていた。パソコンの電源が突然落ち、FMラジオも止まった。同時にぐらっと横揺れを感じた。2時46分。かなり大きな地震だ。来る来るといわれている東海地震がついにやってきたと思った。まず窓を開けた。揺れは続く。家が倒壊して閉じ込められたらまずいと思い、玄関のドアを開け、サンダルがけで外に出た。車庫の車が揺れていた。

 家の前の道には、赤ん坊を抱いた老婆と、その娘と思われる人がいた。見慣れぬ人で、たまたま通りかかったのだろう。家の前からは西に13軒が軒を並べているのだが一人として外には出ていなかった。100メートルほど先を突っ走って右に消えていった飼い猫ランのぴょこぴょこ上下に動くお尻のみが目に入った。

 妻は十数人のグループで兜町の東京証券取引所内の東証アローズの見学に出かけていた。娘は都心の会社。ケータイを持たない私は連絡が取れなかった。パソコンもデスクトップ型で停電で使えない。幸い、息子が自宅にいて、ケータイでヤフーに繋ぎ、状況を確認してくれた。宮城沖が震源で震度7を記録したところもある、横浜5弱、東京5、M7.9という情報が得られた。

 5時前にやっと妻と息子のケータイがつながり、東証アローズにとどまっているという。携帯ラジオをつけたが受信状態が悪く、菅首相の「・・・行動をお願いします」という声がやっと聞こえた。

 外の様子を見ようと、横浜線の十日市場の駅まで行ってみた。駅前にはかなりの人がたむろしていたが、改札口はシャッターが降りていた。公衆電話には人の列が出来ていたから、通じるようだ。スーパーもマックも閉じていた。信号もつかないので、十日市場交差点では、黄色いコートを着た婦人警官が大きな身振りでテキパキと車をさばいていた。別の交差点では、ボランティアが出て整理に当たっていて、こちらも問題なく流れていた。

 6時前にやっと携帯ラジオがよく入るようになった。枝野官房長官が会見で、東京の鉄道は全面的にとまっているので、帰宅に際しては、経路を確認しないで行動しいないこと、経路が確保できるまでその場で待機するよう求めていた。

 7時過ぎに仏壇からローソクを数本もって来て食卓に立てて、あり合わせの夕食をとる。細くて短いローソクだから、1本30分ももたなかった。

 寒い夜だったが、ガスストーブもファンヒーターも電気がないと点火しない。早めに寝る。9時半過ぎに息子に起こされる。電気が通じた。テレビをつけると、押し寄せる津波の映像だ。先端に瓦礫を乗せた黒い水の塊が、家を取り囲み、畑のビールハウスを倒して行く。数時間前の名取市の映像だ。知らない間にこんな津波が押し寄せていたのだ。11時頃丸子橋を歩いて川崎方面に向かう人々の群れが映し出される。

 東証アローズで一晩明かした妻と、会社に泊まった娘は翌朝8時頃帰宅した。
 テレビで見たぞろぞろと歩いて多摩川の橋を渡る人の群れを考えると、泊まったことは正解だった。

 わずか9時間ほどの停電だったが、日頃いかに電気に頼る生活をしているかを実感させられた。電気はもっとも使いやすいエネルギーだが、蓄えが効かないのが欠点。分散して蓄えることが出来れば、停電に対する最大の備えとなる。

 リチウム電池の開発で吉野章さんたちが今年のノーベル賞に輝いたことは、そういう意味でも大変意義があり素晴らしいことだ。  

 2019-10-17 up


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