2019年5月 課題:「歌舞伎」
歌舞伎のファンには女性が多い
歌舞伎を見たことは生涯で数えるほどしかない。多分中学の時に授業の一環として見たことがある気がする。
初めて本物の歌舞伎を見たのは20代の中頃、前進座の『勧進帳』だった。これは労音の例会として、確か文京公会堂で行われた公演であった。きらびやかな衣装、派手な隈取り、もったいぶった台詞と見得、そして最後の花道での弁慶の飛び六方。いずれも現実離れして大げさだと思ったが、それはそれで面白く楽しいものだった。とは言え、歌舞伎はやはり特殊な演芸で、一部のファンのもの、年寄りのもので、素人は易々とは入れない世界という感覚があった。
次に歌舞伎を見たのは40年もたった後だった。銀座の宝石店の主催する歌舞伎観劇会の案内が、家内宛に来たのだ。かつて、その宝石店で何かを買って顧客名簿に載っていたのだろう。案内状を見たら、『白浪五人男』というのがあった。私でも名前を聞いたことがある、歌舞伎の演目だ。ペアの案内状だったので私も参加した。まずその宝石店に寄り、商品の紹介と勧誘がある。30人くらいの参加者のうち、男性は私の他には1名だった。店員が「奥様にはこれが似合いますよ」と言って、ネックレスなどを客に付けさせ、客はモデルになって皆に見せる。効果はてきめんで、ほとんどの客が何かの装飾品を買った。家内もネックレスを、私に言わせれば「買わされた」。
それがすんでから歌舞伎座へ。『白浪五人男』は中村勘九郎(菊之助)、片岡仁左衛門(日本駄左衛門)、坂東三津五郎(力丸)と言った豪華な顔ぶれで、特に最後の勘九郎が屋根上で大勢の捕り方に囲まれ、捕らえられる立ち回りの素早い動作が強く印象に残った。
平安神宮の拝殿前の野外特設舞台で、玉三郎を見たのは、2011年の夏。家内が見つけてきた観劇ツアー。演目は『船弁慶』と『楊貴妃』。『船弁慶』は西国を目指して落ちていこうとした義経一行の物語。大物浦で静御前と別れた一行が海へ乗り出すと、武者姿の平知盛の亡霊が現れて、一行に襲いかかるというもの。玉三郎は静御前と平知盛の二役をこなした。『楊貴妃』の方はほぼ一人舞台で踊りが主体。知盛の玉三郎もすごいと思ったが、ライトに照らされ華やかな中国衣装で、大きな扇を両手に持ち踊る楊貴妃には男の私もうっとりとしてしまった。
玉三郎ファンに限らず、歌舞伎のファンは女性の方が多いようだ。周囲の男性で、歌舞伎のファンというのはいない。演じるのが男性に限るというのが、男性のファンが少ない理由ではないか。一方女性のファンは何人か知っている。毎回の公演を必ず見るというかつての職場の女性、下重暁子のエッセイ教室の受講生にも、一度でいいから歌舞伎座の大向こうから役者に声をかけてみたいと言っていたIさん、先代の仁左衛門の追っかけだというGさんがいる。
その後も宝石店の観劇会には2回参加した。いずれもほとんどが女性。女性の歌舞伎好きを知っていて、装飾品の売り込みと歌舞伎観劇を抱き合わせるのだろう。
2019-05-23 up
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