2019年4月  課題:「宿題」 

源氏物語を読む 

 元禄4年(1691年)4月から5月の初めにかけて半月ほど、松尾芭蕉は、去来の京都嵯峨の落柿舎に滞在した。与えられた一間には机、硯のほかに何冊かの書籍も持ち込んだと『嵯峨日記』に記されている。そのなかには源氏物語もある。

 芭蕉の俳句(発句)のなかに源氏物語に通じるものは見いだせない。もっと言えば、源氏の雅の世界の対極にあるのが俳句だと思っていた。だがこれは芭蕉の一面しか見ていないための誤解だった。芭蕉の発句、つまり俳諧連句の発句はそれなりに知っていたが、芭蕉の連句そのものにはなじみがなかったことによる誤解だった。芭蕉の本領はむしろ連句にあると言われるほどだ。連句は前の句に次々に句を付けて行くが、前の句から何を連想するかが鍵となる。連想の手がかりとなるものは何でもいいが、皆に理解されなければならない。古典の和歌や物語が手がかりとなることも多く、その中には源氏物語も含まれている。

 例えば、蕉門の連句のなかでも最高傑作とされる「きりぎりす」には源氏物語の末摘花の一場面を背景にした句がある。詠じたのは去来であるが、連衆として歌仙を巻いた芭蕉も凡兆も当然その句の背景を理解している。

「きりぎりす」にはさらに次の恋の句がある。

さまざまに品かはりたる恋をして  凡兆
 浮世の果ては皆小町なり     芭蕉

「品かはりたる恋」は、源氏物語のいわゆる「雨夜の品定め」を踏まえている。それを嗅ぎとった芭蕉は王朝歌人の小野小町の生涯へと展開し、美しくもはかない女の恋の一生を歌い上げた。芭蕉、凡兆、去来にとって、お互いが源氏物語に通じていることは、当然の前提だったのだ。

 後から知ったのだが、芭蕉は北村季吟に師事していた。季吟は歌人であり、俳人であり、そして古典の研究家であった。源氏物語については『湖月抄』という江戸時代を通して広く読まれた60巻にも及ぶ注釈書を出版している。芭蕉が源氏物語に親しんでいたのは当然だった。

 私が谷崎潤一郎の現代語訳の源氏物語を読んだのは、40年以上前だ。当時、半年間スイスに研修に行く機会をあたえられた。初めてのヨーロッパ。その歴史と文化に負けないものを自分の内にも持ちたいという漠然とした思いから、読んだのが源氏物語だった。

 高校の時授業でほんの一部を読んだとき、庶民と関係のない軟弱な物語だと、反感を持った。だが、予想に反してストーリーが面白かった。私も年令を重ねいくつかの恋も経験するなかで、男と女の軟弱とも思えるからみ合いの中にも人生の真実が見出されること、貴族の世界だからこそ、かえって自由なとらわれない人間の本性があらわれること、そして天才の才能というものは、時代をはるかに越えて人々の心を打ちつづけるものであること等を素直に納得できた。

 芭蕉に影響されたのかも知れない。原文で読んでみようと思い立った。2年前に岩波文庫から新しい源氏物語が出た。右のページに原文、左のページには詳しい注が載っている。全9巻の第1巻しか手にしてないが、600ページにもなるボリュームだ。寝る前に少しずつ読み進めているが遅々として進まない。

 源氏物語の読破は生涯の宿題となりそうだ。


    2019-04-17up

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