2018年12月  課題:「鞄」 

取り返したアタッシュケース


 私がいた日本たばこ産業は1985年に民営化され、たばこ以外の分野にも進出することになった。その一つが食品で、私は食品開発を担うことになった。

 ドイツの会社からある食品の技術導入を試みた。1989年初夏、私たち5人の交渉団は、アルザス地方のフランス国境に近いオッフェンブルクにあるその会社を訪れた。しかし、交渉は初日で物別れになった。仕方なく、予定を変更し、フランクフルトに引き上げ、善後策を協議することになった。オッフェンブルクからフランクフルトへは急行で2時間。フランクフルト中央駅に1時過ぎについた。まず泊まるホテルを確保しようと、私と同僚は駅前の旅行案内所に行った。スーツーケースなどは駅前の路上にまとめておいて、Eさんに見てもらって、空身で案内所に行った。

 案内所の人と交渉しているとき、外の方で突然大きな声がした。何か怒鳴っているようだった。駅前のホテルを予約して、荷物を置いたところに戻ってみると、Eさんが興奮していた。少し前に、私のアタッシュケースが置き引きされたという。気がついて大声で追いかけたら、犯人は駅前の地下への階段を逃げて行き、アタッシュケースは階段に放置されたという。Eさんは「ドロボー」と叫んだようだ。その声の大きさと追ってくる迫力に犯人は恐れをなしたようだ。浅黒い顔の若い男で、中東あたりからの移民のようだったという。アタッシュケースを取り戻したのでEさんはそれ以上追いかけなかった。Eさんの機転と勇気に感謝感謝。

 アタッシュケースは1980年代、海外出張が多くなったのを機に購入した。A4の書類がそのまま入り、厚さは8センチほど。ポリカーボネートと思われる材質でできたダークブラウンのもの。堅固で、しっかりと鍵かが掛かる。何よりも、アタッシュケースを持って闊歩するビジネスマンというと、いかにも「出来る」というイメージがあり、それも購入の大きな理由だったのだろう。

 この出張は大幅に旅程が狂い、せっかくとったフランクフルトのホテルも、私は泊まることなく、その夜、皆と別れてイタリアのボローニアへ飛んで、翌日その地の包装機メーカーを訪問した。用件は1日で終わったので、車で2時間のフィレンツェまで送ってもらい、翌日フィレンツェ観光を楽しむというボーナスまでついた。

 3ヶ月後、再度オッフェンブルグを訪れ、仕切り直しをして、どうやら合意に達することが出来た。

 この出張には、食品事業の事業部長も同行した。社内でも、歯にきぬ着せずものを言うことで名高い部長は、成田空港で、私が手にしていたアタッシュケースを見るなりこう言った。

「置き引きされそうになったと言うから、どんな立派なアタッシュケースかと思ったが、なんだこんなアタッシュケースか」

 部長は本革張りのアタッシュでも想像していたのだろう。

 定年後、アタッシュケースを持ち歩くことはなくなった。今は、非常用持ち出し鞄として、我が家の重要書類を入れてある。


   2018-12-22 up


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