2018年2月    課題:「童謡」

三つの童謡
 
 子供時代に童謡に親しんだという記憶がほとんどない。豊橋の遠州灘に面する両親の故郷に疎開していて、敗戦の年に小学校に入学した私は童謡に接する環境には恵まれていなかった。

 当時の童謡で、一つだけ心に残っているのは『かなりや』である。「唄を忘れたかなりやは/後の山に棄てましょか/いえいえそれはなりませぬ」という歌詞の残酷さである。二番は「柳の鞭でぶちましょか」とさらにひどい仕打ちになる。この歌の救いは三番の「象牙の船に銀の櫂/月夜の海に浮べれば/忘れた唄をおもいだす」にあるのだが、「後ろの山に捨てる」とか「柳の枝でぶつ」の方が子供の心には具体的イメージとして強く印象に残った。

 この歌は、鈴木三重吉の『赤い鳥』に大正7年(1918年)に発表され、翌年曲がつけられた、狭い意味での日本の童謡の第一号とのこと。西条八十作詞、成田為三作曲。戦後、『歌を忘れたカナリヤ』と題名が改められ、教科書に採用されたというから、私も学校で聞いたのだろう。 

 4年の3学期に東京に移り住んだ。私は慣れ親しんだ豊橋の田舎から他へは行きたくなかった。東京へ越す条件として両親にいくつかのものをねだった。その一つがカナリヤを飼いたいということだった。私はそれまでにカナリヤを見たことはなかったも知れない。『歌を忘れたカナリヤ』への同情が、カナリヤを飼いたいと言わせたのだろう。引っ越してから、両親と日本橋の三越デパートのペット売り場に行った。鳥かごに入った小鳥たちを見た記憶はあるが、家でカナリヤを飼った記憶がない。たまたまカナリヤが売り場にいなかったのか、あるいは高価で両親には手が出なかったのか。家は三田にあって、アメリカ兵が闊歩し、都電が家のすぐ前を通る初めて見る東京の珍しさに圧倒され、私のカナリヤへの興味は薄れていったのだろう。

 東京に出てきてからも、子供心に残った童謡の記憶はない。私の関心はNHKの歌番組「今週の明星」で流される歌謡曲であった。『憧れのハワイ航路』『山小屋の灯』などの明るい歌も好きだったが『湯の町エレジー』や『港の見える丘』などのしっとりとしたムードのある歌も好きだった。

 童謡を見直したのは、十代の後半、思春期から青年期に入る頃。友だちも少なく、内気な私の心は前には向かず、10歳まで過ごした田舎での生活ばかり振り返っていた。そんな私の郷愁をかき立てたのは『赤とんぼ』と『おぼろ月夜』である。私たち一家が身を寄せた母の実家の西側には田圃が広がっていた。この二つの歌を聞くたび、この田圃の光景が蘇る。夏の夕方、両端に重りをつけた紐を飛び交うトンボをめがけて投げるトンボ捕りであり、「田中の小径をたどる人も、かわずのなく音も・・さながらかすめるおぼろ月夜」であった。脇を流れる小川で鮒や泥鰌を掬い、螢を捕り、秋にはイナゴを捕った。

『赤とんぼ』は狭義の童謡だが『おぼろ月夜』は、童謡が出来る前からあった小学唱歌である。いずれにしても、これらの歌の本当の良さが分かるのは、聞いてからかなり時間が経たねばならないようだ。

2018-02-21 up

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