2017年11月  課題:「暖房」


 
炬燵

 母の女学校に同級生のSさんの家には茶の間に掘炬燵があった。私の両親とS夫妻とは私が生まれる前から親しくしていた。同じ年頃の子どもたちがいたので、私と妹は正月や春休み、夏休みなどには泊まりがけで保土ヶ谷のS家に遊びに行った。茶の間の中心にはいつもS夫人がいた。私たちは炬燵を囲んで食事をし、トランプに興じた。まるでS家の家族の一員のようだった。多分、それは四角く狭い炬燵を囲んだからだろう。テーブルに椅子、あるいは応接セットに座っていたのではあれほどの親近感は生じないだろう。

 炬燵の間母中心に父もあり      星野立子
 切札のひらりと出たる炬燵かな    津川絵理子

 今はなきS夫妻と茶の間を想い出す。
 当時私の家は六畳の和室と四畳半の板の間に4人というものだったから、S家の炬燵の醸しだす団らんの雰囲気は私の憧れだった。その後、建て売りの戸建てに越すことが出来たが、板の間の狭いリビングでは炬燵は置けなかった。数年後の増築に際し、父はリビングに掘炬燵を作った。私が結婚して家を出るまでの数年間はこの炬燵が一家の団らんの場となった。晩年父は一日を炬燵に座って過ごした。

 今のところに自分の家を建てることが出来て30年余りが経つ。冬の間、洋間のリビングに持ち出していた電気炬燵も、15年ほど前にしまい込んでしまった。
 
 どつぷりとつかりてこその炬燵かな   中嶋秀子

 確かにそうだが、炬燵の持つ困った面でもある。
「立っているものは親でも使え」ということわざがある。辞書によると「急用のときは、だれでもよいからそばに立っている者を使え」という意味とのこと。このことわざを初めて聞いたとき、炬燵にどっぷりとつかっている人の言い分だと思った。炬燵でミカンが食べたくなった。台所までとりに行くのもおっくうだ。たまたま側に立っていた母親に言いつけよう。そんなイメージである。

 腰ぬけの妻うつくしき炬燵かな      蕪村
 モバイルの固定されたる炬燵かな    後町風子
 
「うつくしき」妻のために蕪村は自らお茶を入れて運んだのだろう。後の句は同じ情景の現代版。下重暁子のエッセイ教室の受講生等で行っている「あかつき句会」に昨年投句された。ケータイを側におき、炬燵から動かない。

 リビングから炬燵をなくした一因は妻も私も腰抜けになっては困るからであり、掘炬燵ではなく、あぐらをかくか、足を伸ばさなければならない姿勢が楽でないからだ。最後の頃には、もぐり込んでくる猫のために炬燵を置く様な状態だった。

 茶を出しぬ炬燵の猫を押落し    金子伊昔紅

 我が家の猫も潜るだけではなく炬燵の上にもよくいた。

 最後に炬燵に最もふさわしい一句

 かの人をここの炬燵に呼びたくて   波多野爽波

    2017-12-01 up


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