2017年7月  課題:「料理」


 ステーキとすき焼き


「セニョンシルブプレ(Saignant、s'il vous plait)」「ミディアムレアでお願いします」。いまでも覚えているフランス語だ。

 40年ほど前、私は5ヶ月間、スイスのジュネーブにある香料会社に単身派遣され、調香の研修を受けた。17階建ての自社ビルを持つ大きな香料会社で、カンティーンと称する社員食堂があった。昼食はそこで食べた。前もって1週間分のメニューが配布されるので、希望の料理申し込んでおく。週に2日はステーキを食べることが出来た。プレートを持って並んでいると、厨房のおばさんが、一人一人順番に焼き加減を聞き、それから焼いてくれた。100グラムはあるステーキで、味は塩と胡椒のみ。ランチタイムは2時間。ビールとワインを飲むことが出来た。最初、ビールを飲んでいたら、「食事の時にビールを飲むのはドイツ流だね」とからかわれた。ジュネーブはフランス語圏で、ドイツ語圏に対する対抗意識が強い。以後、私も赤ワインの小瓶に変えた。

 住んでいたのは会社の近くのアパート。朝と夜の食事は自分で作った。といっても、朝はパンに乳製品、夜は会社の人に誘われてご馳走になったり、近くのレストランで済ますことも多かった。自分で作った料理で、覚えているのはパスタ。パスタ作りで驚いたことは、二つ。まず、ゆであがるまでに予想していた以上に時間がかかること。もう一つは、ミートソース用の挽肉がスーパーで見付からなかったこと。仕方なしになにも入れないトマトケチャップをかけて食べた。食べられない味ではなかったし、手間のかからない料理だったので、その後も何回か作った。

 手間がかからないと言えば、ステーキも手間がかからない。自分でも焼いて食べた。私がジュネーブにいたのは9月初めから翌年の1月末にかけてであったが、冬に入った頃、ステーキではなく、すき焼きが食べたくなった。スーパーに醤油はあったが、スライスした牛肉はなかった。仕方なしに、ステーキ用の赤身肉を買い、薄切りにしてすき焼きとした。野菜はネギ。下仁田ネギのような太くて短いネギだった。流しの横の電気コンロの前に椅子を持っていき、作りながら食べた。一人でつつく鍋はわびしかったが、醤油と砂糖の染みこんだ肉の味はまさしく日本の味だと思った。葱も甘くとろけるようだった。

 翌朝、ドアを開けて廊下に出てみて驚いた。すき焼きの匂いが廊下にかなり濃く残っていた。この匂いをかいだら、アパートの住人はなんと感じるだろう。ヨーロッパではまず感じることのない匂いだろう。私たちが東南アジア系のエスニック料理店で感じると同じように、異様な匂い、さらには不快な匂いと思うだろう。管理人から文句が来るのではないかと怖れた。幸いそれはなかったが、すき焼き作りは1回切りで終えた。

 すき焼きを家で食べるのは年に一度か二度。味付けを仕切るのは私だ。ステーキを家で食べるようになったのは、子供たちが成人近くなってからだ。誕生日とか、父の日とか、すき焼きよりは回数が多い。自分の分は自分で焼く。家族はウエルダンだが、私はミディアムレア。

   ステーキはミディアムレアにパリ―祭        肇

   2017-07-20 up


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