2017年4月  課題:「乗り換え」


 JR線乗り継ぎの旅


 一日にJR線を9回乗り換え、10本の電車に乗ったことがある。2004年の夏、青春18切符を利用した旅だ。青春18切符は夏、年末、春休みという期間限定であるが、JRの普通列車に乗り放題のチケットで、5日分がセットなったもの。当時値段は11、500円であった。

 乗車駅は長野市の篠ノ井線川中島駅。下車駅は自宅のある横浜線の十日市場駅。前日、軽井沢で、下重暁子さんによるタゴールの詩の朗読と森みどりさんのチェレスタ演奏を聴いた後、川中島の妹の家に泊まった。軽井沢へも青春18切符を利用し、中央線・小海線経由で行った。

 長野から自宅へ帰るなら、松本から中央線を利用するのが近いが、木曽路には行ったことがなかったので、松本から中央西線で名古屋に出る経路をとった。

 最初の乗り換えは松本。接続時間3分で2両編成の中津川行きに乗る。どうやら座れた。夏休みで子供と老人が多い。塩尻からはワンマン運転となり、すぐに電車は山間の底を走るようになる。両側の斜面は緑、緑、緑、緑……圧倒的である。ヒノキ、スギ、広葉樹。車窓から見上げる緑の稜線と快晴の夏空。

「島崎藤村の馬籠の宿」という案内板のある落合川駅を過ぎると中津川。

藤村の言葉を借りれば「木曽路はすべて
緑の山の中であった。」

 中津川駅で名古屋行きに乗り換え。昼飯時だったが、接続時間が5分しかなく、街を見ることも弁当を買うこともできなかった。4両編成のきれいな電車で、空いていた。左手に大きな山容の恵那山が見える。恵那、瑞浪の両駅には新首都誘致の大きな看板が建っていた。ここら辺りが日本の地理的な中心であると聞いたことがある。それが誘致の最大のセールスポイントなのだろう。

 中央西線は名古屋の手前、金山で東海道線に接続する。金山で豊橋行き新快速に乗り換え。豊橋でやっとちくわ弁当を買って、浜松行きに乗り込む。浜松の接続時間は3分。3両編成の電車は満員だった。幸い2駅先の磐田で座れた。焼津、用宗と過ぎて静岡へ。焼津も用宗も電車が止まるのは長いホームの一部である。かつて、東京と大阪を結ぶ十数両編成の長距離普通列車が停まったホームの大部分は、使用されずに雨風に曝され朽ちかけていた。電車の接続はスムーズではあるが、今は普通電車で名古屋から焼津に行くには2回も乗り換えねばならない。

 接続時間5分で静岡乗り換えで熱海へ向かう。4両編成の電車は満員であったが座ることができた。

 熱海からはロングシート座席の10両編成でグリーン車も2両あった。国府津で5両増結。それでも、平塚からは立つ人も出てきて、さらに藤沢では吊革も空きがないほどだった。平日の夜の7時の上がり電車にしてこの混みよう。ローカル線といっても東京近辺は、地方とはまったく違う。昼間、恵那と瑞浪で新首都誘致の看板を目にしたときは、こんな田舎に来たら大変だろうと思ったが、この首都圏集中を解消するには、首都の引っ越ししかないのかも知れない。

 横浜、東神奈川と乗り換えて、十日市場に着いたのは8時過ぎ。川中島駅の改札を入ってからちょうど11時間、JRの構内から一歩も出ない旅であった。

 

   2017-04-19up


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