2017年3月  課題:「春一番」


ランの春一番


 数日、ランの様子がおかしかった。鳴き声が「アウン、アウン」というように聞こえる。余り餌を食べず、以前のように紐や人形で遊ぶこともない。べたっと腹を床につけて鳴いたり、背中を床にこすりつけてもだえるように何回も回転したりする。どこか具合が悪くなったのかと心配になった。ネットで調べてら、これらはすべて発情期の典型的な症状だという。

 ランは前年の8月に妻が路上で拾って来た雌の三毛猫。家に来たときには体重200クラムだったのが、半年で3000グラムになり、発情期を迎えたのだ。通常生後7ヶ月で発情期を迎えると言うが、ランは少し早い。毎日のように近所の雄猫が家の周りをうろついていたから、それに刺激されて発情が早まったのだろう。夜中も吠えるように「アウン、アウン」と吠えるように鳴き、廊下をうろうろし安眠を妨げられた。もだえていても抱きあげて、さすってやる以外には何も出来ず、ランが可哀想であったが、掌の中でほ乳瓶からミルクを飲んでいたランが、大人になった証拠であり、嬉しくもあった。

 5日ほどで鳴き声が「ニャー、ニャー」に戻り、発情が終わった。その間、卵巣から大量に分泌された卵胞ホルモンが、ランの体中を吹き荒れ、種族維持への本能を目覚めさせたのだ。あたかも春一番が木々の芽吹きを促すように。

 2週間ほどした日の夜中と夜明け、ランの吠えるような声が聞こえた。2回目の発情、ランにとっては春二番の襲来だった。今回は3日ほどで終わった。 我が家ではランの前に、「おばさん」と名付けた猫とその娘のミーという2匹の雌猫を飼ったことがある。2匹ともランのような発情を観察しなかった。「おばさん」もミーも気性のおとなしいキジ猫であるが、ランは気性が荒いとされる三毛だから、発情もはっきりと現れたのかも知れない。「おばさん」はミーを生んだ後、ミーは大人になるとすぐ、それぞれ不妊手術を施した。

 生後8ヶ月過ぎにランの不妊手術をした。順調に思春期を迎え、子孫が残せる体にまで成長し、「おばさん」やミーとは違って、派手なデモンストレーションで子供が産みたいといったランの願いを断つのは残酷なことだ。しかし、生まれた子供の全部を我が家で育てる気は、家族の誰も持たない。たとえその中の1匹を手元に置いて育てたとしても、今度はその子が大人になったとき、ランの場合と同じ問題のぶつかる。どこかで決断しなければならない。その上、18歳になった「おばさん」もまだ健在である。そんな理屈を心の中で繰り返して、ランを動物病院においてきた。

 ランがいない家は火の消えたように静かで、拍子抜けがした。暖かな春の日で、今まではランが外へ出るのを防ぐために閉めていたガラス戸を開け広げた。これからはランは妊娠の可能性も、あるいは発情して雄ネコを求めて遠くまでいってしまうこともなくなるから、好きな時に出してやれる。そんなことを思った。

 翌日手術を終えたランが帰ってきた。

 今年の7月で、ランは13歳になる。体重は4500グラム、外で喧嘩をして怪我を何回かしたことはあるが、大きな病気もせず元気である。

   2017-03-25 up


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