2016年10月  課題:「地下鉄」


大阪の地下鉄で
    
  大学を出て就職した昭和36年(1961年)、大阪府茨木市にあるたばこ工場で現場実習生として、工場付属の独身寮で17人の同期入社と1年間過ごした。東京育ちの私には、初めて接する関西の風土は物珍しかった。大阪と京都の中間にある茨木は、どちらに行くにも便利であった。京都や奈良の古刹を訪ね、六甲や比良の山、遠くは大山や大峰山までを歩き関西の生活を満喫した。

 ちょっとした買い物は大阪まで出かけた。東海道新幹線の開通までにはまだ3年余りの年月があり、大阪の地下鉄は北の梅田から南のなんば・天王寺間の御堂筋線があるだけであった。大阪の繁華街は北と南に分かれているが、道頓堀や心斎橋筋など南の方が賑やかであり、南へ行く方が多かった。茨木からは国鉄で大阪まで行き、そこから地下鉄の御堂筋線に乗る。

 地下鉄の改札口前にいつも割烹着姿のおばさんが数人立っていて、乗客がそのおばさんから切符を買っていた。地下鉄当局から委託されておばさん達が乗客の便宜を図っているのだろうと思った。ところがそうではなかった。おばさん達は回数券を買ってそれを売っていたのだ。10枚分の値段で11枚綴りの回数券が買える。それをばらして売り、その1枚分が、立売人と自らが呼ぶおばさん達の収入だった。こんな商売が成りたつとは驚きだった。

 地下鉄の職員でもない人から切符を買う。タテマエを重視する東京では売る方も買う方もとても考えられないことだった。私も最初ためらった。しかし、券売機や窓口に寄らずに改札口に直行できるのは便利だ。せっかく関西に来たのだから、タテマエはどうあれ、便利なものは便利だとホンネで生きる大阪人に同化しようという思いもあって、私も立ち売りおばさんを利用した。

 この立ち売りという風習は、ダフ屋行為に当たるとされ、また、昭和45年の大阪万博に向けて、大阪のイメージアップを図るために、当局は切り離された回数券の使用を禁止し、立売人は消えてしまったとのこと。

 茨木工場での実習訓練を終えて、私は東京にある研究所に配置になった。仕事の上では大阪とは縁が遠くなった。

 再度大阪の地下鉄に乗ったのは、出張で行った1981年だった。その頃には路線もかなり増えていて、以前はなかった東西に走る路線もあり、御堂筋線も梅田から新大阪まで延長されていた。

 なんばから梅田方面に向かう地下鉄に乗ったのは朝のラッシュ時であった。大変な混雑で入口から少し入った所で通勤客に揉まれていた。途中の駅で普段着姿の3人連れのおばさんが押し込まれるように乗り込んできた。こんなに早くからどこに行くのだろう。バイタリティーあふれる大阪のおばさん達だが、こんな混雑の中で可哀想だなと思った。電車が動き出した。乗客が揺れる。その時大きな声がした。

「やー、おさんどいてー、お腹の子が出るー」。

 おばさんのひと声にクスクス笑いが起こり、一瞬車内が和んだ。

 出来すぎたユーモアで、今思うとおばさんが口にしたのは吉本のお笑いネタだったかもしれない。いずれにしても、東京の地下鉄では絶対に見られない光景だ。

  2016-10-19up



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