2016年8月  課題:「夕涼み」


天下至楽

「何といっても夕涼みの絵はこれが一番」といって講師が、スクリーンに示した絵を見たとき衝撃が走った。ござの上に男が腹這いになり、右手で頬杖をついている。少し下がって、画面の前には上半身裸の洗い髪の女が、やや前屈みに座っている。男の後ろには、五、六歳の男の子。三人の視線は左前方を向いている。彼らの上は夕顔の棚になっていて、右端にわずかに見える軒に続いている。それだけの絵だ。現代風の家族団らんとも少し違う感じだ。三人のあいだに会話を想像することはできない。三人とも無言で静かに棚の下に身をおいている。ただ、視線の先が一致していることで、三人のあいだの深い絆が感じられる。ゆっくりと流れる満ち足りた時間。何と穏やかな安らぎに満ちた絵だろう。その安らぎ感が衝撃だった。

 絵は「夕顔棚納涼図」。作者は江戸時代初期の画家、久隅守景。初めて目にする絵であり初めて聞く画家である。

 8月の初め、渋谷の國學院大學で、「涼しい浮世絵―幽霊・浴衣・夕涼み―」という公開講演があり、ネットで知って行ってみた。講師は同大学の教授藤澤紫さん。幽霊画は円山応挙の美人画あたりから派生してきたという意外な話から、浴衣は銭湯の普及につれて湯上がり用の衣裳として普及し、やがて模様の入った一般着へと発展していた、などの話があり、夕涼みを描いたものには花火の絵や7月26日の月を待つ「二十六夜待ち」の絵などを紹介した最後が、「夕顔棚納涼図」であった。

 講演では絵の名前と作者が述べられたのみで、詳しい説明はなかった。帰ってすぐにネットで調べた。久隅守景は寛永から元禄にかけて活躍した画家。狩野探幽の有力な弟子であったが、師を批判して、破門され江戸を追われ流浪の身で絵を描き続けた。この作品も流浪時代の物とされている。

 この絵は「夕顔のさける軒ばの下涼み男はててれ女(め)はふたのもの」という木下長嘯子の和歌を描いたものとされる。木下長嘯子はこの歌を「天下至楽」の景としている。「ててれ」は褌あるいは粗衣、「ふたのもの」は腰巻き。男の着物は淡い青色の、肌が透けて見えるもの。女の腰巻きは色がない。この絵は守景の家族を描いたものだとされている。現在、国宝として国立博物館が所蔵している。ネット上の画像だけでなくぜひ実物を見たいと思い電話してみたが、常設展示はしていないとのことだった。

 木下長嘯子という歌人も初めて聞く名前であった。「長嘯子」は歌人としての名で、本名は木下勝俊。驚いたことに安土桃山時代の武将であった。父は秀吉の正室、おねの兄で、小早川秀秋は長嘯子の異母弟だ。関ヶ原の戦いに際しては東軍方につき、伏見城の防衛に当たるが、戦う前に戦場を放棄してしまう。戦後、家康にうとまれて領地を召し上げられ、文人として生涯を終える。

 長嘯子も守景も領地没収あるいは追放という挫折を味わっている。こうした挫折が、この絵のような情景を「天下至楽」とする心境につながったのだろう。

参考:久隅守景と夕顔棚納涼図および木下長嘯子についてはウイキペディアを参照。

 2016-08-31 up


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