2016年1月  課題:「おめでとう」


「あけましておめでとうございます」

 33、20、16。数字は今年頂いた賀状の冒頭の挨拶文別のパーセンテージだ。それぞれ「謹賀新年」「新年のお慶びを申し上げます」「明けましておめでとうございます」に対応する。以下「迎春・賀春・頌春」12、「賀正」9、「Happy New Year」2、その他8パーセントである。3分の1が「謹賀新年」である。

 私が最近ずっと使っている「明けましておめでとうございます」は3番人気で、「謹賀新年」の半分だ。「謹賀新年」は漢字四字熟語で、固い響きがする。「明けましておめでとうございます」は、対照的に話し言葉そのままで柔らかい。「謹賀新年」のうち女性からのものはわずか3通。一方、「明けましておめでとうございます」では,女性からのが9通で、両者の違いがよく出ている。固さ柔らかさ「新年のお慶びを申し上げます」は両者の中間にある。

 相手に語りかけている場面を想定して、私は「明けましておめでとうございます」を使う。手書きの賀状を出していた頃は、「謹賀新年」も使った。悪筆の私は書く字数を少なくしたかったからだ。手彫りで版を作った時などは「賀春」「頌春」など2字にしたこともある。パソコンで作りプリントアウトするようになってからは、手書きの煩わしさがなく、長い字数も厭わないから「新春のお慶びを申し上げます」を使ったこともある。

 定年退職して以来「明けましておめでとうございます」と挨拶を交わす機会がずっと減ったことも、年賀状にそう書いていることの一因かも知れない。

 今年の正月松の内、何回くらい「おめでとう」を言っただろうか。元朝に妻と交わしたのと、訪れた長男夫妻と交わしたのと、親戚からの電話に1回。そんな程度だ。初詣はいつものように2日に近くの神社とお寺に往復1時間ほどかけて歩いて行ったが、知っている人には誰も会わなかった。町内を歩いていても、ほとんど人に会わない。隣近所の人とも顔を合わせなかった。

 勤めていた頃は、まず初出勤は、職場の人々と「おめでとう」を交わすためのものだった。若いころは職場内だけで済んだ賀詞交換も、組織の責任者となったサラリーマン生活の最後の方では、取引先への年始回り、あるいは年始客の応対で、大体松の内は終わった。こうした挨拶まわりを好んだわけではないが、企業間の情報交換の場、あるいは潤滑油のようなものだと割り切ってしまえば、苦にはならなかった。

 大学のクラスメートのOさんからの年賀状も中抜き文字で「あけましておめでとうございます」であった。秋の黒部峡谷で撮った夫妻の写真がその下にあった。そのOさんの訃報が飛び込んだのは13日。昨年末に倒れ、正月明けに亡くなったとのこと。一緒に何回か海外旅行に出かけた仲だった。倉敷に住んでいたから、ここ数年会っていなかったが、学生時代はラグビーの選手で、元気な人だったし、年賀状にも元気な写真が載っていたので、信じられなかった。

「あけましておめでとうございます」はOさんから私への、最後の語りかけとなってしまった。 



教室で
 「明けましておめでとうございます」は上の人への年賀状では使わない方がいいという指摘があった。
 言われてみると、そんな気がする。しかし、後期高齢者入りした私には、改まって「謹賀新年」としなければならないような「上の人」は思い当たらない。



 2016-01-28 up


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